◆マイケル・ジャクソン DANGEROUS完成までの道のり - 後編 - Teddy Rileyが加わり『デンジャラス』は危険なアルバムになった [アルバム考察]
テディー・ライリーが『Dangerous』プロジェクトに加わり、アルバムのカラーが大きく変わっていきます。テディーの参加なしでは『Dangerous』は危険なアルバムにならなかった。
すでに前回とりあげたように、『BAD』完成後、マイケルはすぐにビル・ボットレルを中心に次のNEWアルバムに向けての楽曲を次々と作り上げていった。その数は70曲以上にも及んだと言います。しかし、何か決定的なものが足りない。それが、斬新なリズムと強烈なビートだったと思います。そしてそれを生み出す才能として目を付けたのが、R&B / Hip Hopプロデューサーのテディ・ライリーだったのです。
実は、テディーの前に、このR&B的なビート曲を担うことを期待されていたのが、ブライアン・ローレンだったようです。彼はこの時期に下記の曲をマイケルと制作したようです。(ジョゼフ・ボーゲル著『Man In the Music』参照)
Mind Is The Magic (イリュージョニストのジークフリード&ロイに提供)
WorK That Body(公式リリースなし)
Superfly Sister (『Blood On The Dance Floor』に収録)
To Satisfy You (ブライアン・ローレンのソロアルバムに収録)
Men In Black (未聴)
そしてブライアンのR&Bを感じれるのが92年に発表する彼自身のソロアルバムだと思います。楽器もでき曲も書け、さらにボーカルもとれる。めちゃマルチな才能を感じます。
「To Satisfy You」は『Dangerous』に収録されてもいいすてきなSlowかと思いますが、されず。ブライアンもマイケルと作り上げた楽曲が1曲も『Dangerous』に採用されなかったのは相当失望だったみたいですが、彼のアルバムにマイケルのボーカル入りで収録することを許可したのはマイケルなりの配慮だったのだと思います。
すでに前回とりあげたように、『BAD』完成後、マイケルはすぐにビル・ボットレルを中心に次のNEWアルバムに向けての楽曲を次々と作り上げていった。その数は70曲以上にも及んだと言います。しかし、何か決定的なものが足りない。それが、斬新なリズムと強烈なビートだったと思います。そしてそれを生み出す才能として目を付けたのが、R&B / Hip Hopプロデューサーのテディ・ライリーだったのです。
実は、テディーの前に、このR&B的なビート曲を担うことを期待されていたのが、ブライアン・ローレンだったようです。彼はこの時期に下記の曲をマイケルと制作したようです。(ジョゼフ・ボーゲル著『Man In the Music』参照)
Mind Is The Magic (イリュージョニストのジークフリード&ロイに提供)
WorK That Body(公式リリースなし)
Superfly Sister (『Blood On The Dance Floor』に収録)
To Satisfy You (ブライアン・ローレンのソロアルバムに収録)
Men In Black (未聴)
そしてブライアンのR&Bを感じれるのが92年に発表する彼自身のソロアルバムだと思います。楽器もでき曲も書け、さらにボーカルもとれる。めちゃマルチな才能を感じます。
「To Satisfy You」は『Dangerous』に収録されてもいいすてきなSlowかと思いますが、されず。ブライアンもマイケルと作り上げた楽曲が1曲も『Dangerous』に採用されなかったのは相当失望だったみたいですが、彼のアルバムにマイケルのボーカル入りで収録することを許可したのはマイケルなりの配慮だったのだと思います。
最終的に、厳しい言い方をすればブライアンのビートではマイケルは満足できなかった。前述のソロ作を聞いてもわかるように、バランスはいいけど、突き抜けたものはうすいように思います。そしてブライアンに替わってマイケルが期待したのがテディー・ライリーだったという事でしょう。
そしてテディー・ライリーは、ネバーランドに招かれる事となります。カリスマ、スーパースターであるマイケル・ジャクソンを目の前にして、テディーも臆した感じですが、マイケルはテディーにこう言います。「君は本当に僕をプロデュースするんだ。(遠慮はいらない)批判すべき所は批判し、意見して欲しい。君のすべての才能を僕にぶつけてきてほしい」と。マイケル的にも、けっこう追いつめられ感もあったのではと思います。
その言葉でテディー・ライリーもマイケルの本気度とプロフェッショナリズムを感じ、この世紀のアーティストと楽曲を作り上げる覚悟ができたのだと思います。売れっ子プロデューサーのテディー・ライリーですが、ほぼ他の依頼はシャットアウトし、1年2ヶ月、ホテルや改装し寝泊まりもできるスタジオで『Dangerous』に取り組む事となります。
◆ もし『DANGEROUS』の前にBEST盤 マイケル・ジャクソン『DECADE』が発売されていたら [アルバム考察]
87年7月に発売された『BAD』、全世界で2年に渡りシングルリリースは続きます。アルバム収録曲の11曲中、9曲がシングルになるというすごさ。(この辺も記録になってないのかな?)マイケルは、平行して『BAD』ワールドツアーも行うわけですが、440万人を動員したこのツアーは89年10月に終え、これにより『BAD』プロジェクトは終幕します。
エンジニアのブルース・スウェディンによると、『BAD』が完成した翌日からもうマイケルは次のアルバムに向けてのデモテープを制作し始めたというとてつもないエピソードもあります。
80年代も終わり、新たなDECADEに突入しようとする所で、マイケルの所属するEPIC SONYはマイケルの2枚組BEST盤の企画を行います。タイトルも『DECADE 1979-1989』。この『DECADE』収録曲を分析することで、次のオリジナルアルバム『DANGEROUS』の最初の輪郭も見えてきます。さらにもし予定通りこの『DECADE』が発売されていたらどうなっていたかも推察したいと思います。
◆ マイケル・ジャクソン 『Dangerous』完成までの道のり - 前編 - ビル・ボットレルの功績 [アルバム考察]
オリジナル2010.3.9Up
MJフリークたちによる、トークショー「MJ熱中夜話」というものが開催されている。そこでMJの90年代の金字塔『DANGEROUS』の制作秘話等が語られるらしい。楽しそうだな~。なんか触発されて、以前書き上げた記事に追加、修正したものをUP!
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『BAD』は87年7月に発売され、USAでは7枚、UKでは9曲のシングルがきられます。UKでの最後のシングル「リベリアンガールは」89年7月にカットされています。そして世界はまたマイケル・ジャクソンの次のアルバムを待ち望むわけです。