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◆ 『BAD』はなぜ『Thriller』を超えれなかったのか? マイケル・ジャクソン [アルバム考察]

                                                                                                            オリジナル2009.11.16Upに加筆・修正

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 87年8月、『BAD』が発売されます。マイケルは本気で『スリラー』を超える作品を目指したと思います。超えた部分もありますし、超えれなかった部分もあります。最大の目標は、アルバムセールス、1億枚という数字も掲げます。そしてグラミーでの評価も求めたと思います。
 79年時の『オフ・ザ・ウォール』の成功も、当初誰も予想していなかった。アルバムから2枚のNo1シングルをうみ、TOP10に4曲入るという大記録も打ち出す。すでに『オフ・ザ・ウォール』でマイケルは頂点に達したとも思われていた。その中での『スリラー』の登場だった。
 『スリラー』が発売されたとき、このアルバムが世界で一番売れるアルバムなる事を予想した人はいなかったと思います。いやマイケルだけはそう信じていたのではないでしょうか。そしてマイケルはそれをやってのけるのです。
 そして『BAD』の時もさらなる高みを求め挑戦するのです。 

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◆アルバム 『BAD』をクインシー・ジョーンズとの関係性も絡めリズムアレンジから分析する [アルバム考察]

                           オリジナル2011.10.10Up 今回大幅加筆。

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 87年8月発表の『BAD』にスポットを当てたいと思います。『Thriller』の後に発売された『BAD』。全世界が注目するアルバムとなります。
 『スリラー』発売時、マイケル・ジャクソンはまだ全世界が注目するアーティストにはなっていなかったと思います。前作の『Off The Wall』の成功でR&Bのスーパースターには到達していた。
 しかし『スリラー』の世界的な売上とグラミー7部門受賞、セールスと音楽的な評価の両方の頂点を極め、まさにマイケル・ジャクソンはワールドワイドなスーパースターとなり、その新作は、USAだけでなく全世界が注目する事になります。
 そして、マイケルのライヴァルはマイケル自身でした。全世界の期待に応えなければならないというプレッシャー(という言葉では生ぬるい)と戦いながら不屈の精神で製作されたアルバムのように思います。アルバムは『BAD』は87年8月31日に全世界で解禁されます。

 今回、プロデューサーのクインシー・ジョーンズとの関係性も考えたいと思います。
 

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◆ アルバム『BAD』 マイケル・ジャクソン もし『BAD』が『BAD』でなかったら★ 『BAD』25周年記念盤・完全未発表曲を聞いて ★ [アルバム考察]

                             オリジナル2013.5.26Up

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 『スリラー』が前人未到のセールスを記録し、その『スリラー』を超えるべく、マイケルがニュー・アルバムの製作に着手したのが85年だそうです。そのまだ輪郭の見えないニューアルバムのために、62曲もの曲をストックしていたといいます。
 前回、MJがなぜ『BAD』のスタイルにたどり着いたのか、推察してみました。
 同級生のプリンスとも比較しましたが、プリンスもこの頃Creativeなパワーが全開です。マイケルは、5年という歳月を1枚のアルバムに凝縮させた。対照的にプリンスは毎年のようにアルバムを発表した。しかし、そのアルバムはどれも違うカラーをもち、楽曲の良さとサウンドの質の高さとそのcreativeさに、多くのリスナーが魅了された。
 マイケルも、毎年とはいわないまでも、2年に1枚くらい出せる楽曲はそろっていた。
 前述の62曲から絞りに絞って、33曲の楽曲はある程度完成されたデモ盤まで出来上がっていたたようで、そこからの6曲がこの25周年記念盤のボーナストラックとして収録された模様。
 “タフなMJ”というコンセプトに沿って、アルバムタイトルも『BAD』となり、収録される曲が選ばれた。最終的にたどり着いた『BAD』のスタイルも、素晴らしいものですが、『BAD』25周年記念盤のボーナストラック、これらの未発表の6曲を聞いて、80年代後半にもう1枚、アルバムを出してほしかったという思いを強く持ちました。

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