◆ DANGEROUS ワールドツアー (1992-93) ★ 東欧や中南米もまわりMJが世界を魅了する、しかし・・・想定外の終幕を迎える ★ [ツアー]
ORIGINAL 2013.1.22 Up
90年代に入り、クインシー・ジョーンズからTeddy RileyにメインProducerが変わり、『Dangerous』を発表。そこではNewスタイルのマイケル・ジャクソンのSOUNDが展開されます。
さらにマイケルのビジュアルも、尋常性白斑という皮膚疾患が原因とはいえ80年代のそれとは異なるものになります。そして再び MJは世界ツアーにも旅立つことになります。 『BAD』ワールドツアーの際、当初マイケルは「これが最後のツアーになる」と宣言していました。それほどの思いをもたないとこれだけの規模のワールドツアーをこなすのは難しいのかもしれません。一方で、マイケルはステージは自身の家だと言うことも述べている。そしてそこでファンとむすびつく。
90年代に入り、クインシー・ジョーンズからTeddy RileyにメインProducerが変わり、『Dangerous』を発表。そこではNewスタイルのマイケル・ジャクソンのSOUNDが展開されます。
さらにマイケルのビジュアルも、尋常性白斑という皮膚疾患が原因とはいえ80年代のそれとは異なるものになります。そして再び MJは世界ツアーにも旅立つことになります。 『BAD』ワールドツアーの際、当初マイケルは「これが最後のツアーになる」と宣言していました。それほどの思いをもたないとこれだけの規模のワールドツアーをこなすのは難しいのかもしれません。一方で、マイケルはステージは自身の家だと言うことも述べている。そしてそこでファンとむすびつく。
ワールドツアー終了宣言を撤回した最大の要因は、“ヒール・ザ・ワールド基金”の設立にあったと思います。デンジャラスツアーは、ある意味この基金のプロモーションでもあったのです。マイケルはこの頃から、“地球の癒し”と飢餓や貧困、虐待、病気に脅かされている無力な子供たちを救うという強烈な使命感が芽生えているように思います。
この基金は、マイケルも支援したライアン少年をきっかけとした小児エイズ基金、小児がんに苦しむ子供への支援、紛争地域で危機的な状況に置かれている子供たちへの支援等、様々な団体への支援活動も行われます。実際、1992年、国連とも連携し、億単位の支援物資の積み込みを空港で見守るマイケルがいたといいます。
1992年6月、ドイツ(ミュンヘン)から開始された『DANGEROUSツアー』の規模はBADワールドツアーを凌ぎます。それは世界情勢の変化にもありました。1989年11月のベルリンの壁の崩壊に象徴される東西冷戦が集結した事により、東欧やロシアという旧共産主義国家もツアーの開催地となります。92年はヨーロッパ各国をまわり、年末、東京の8公演で1stレグを終えます。私もこの東京公演に行く予定でした。
1993年8月からタイ(バンコク)からのアジアツアーが始まります。この時、再び日本(福岡)にも立ち寄ります。この福岡公演はけっこう意外な感じでした。実はマイケルがお気に入りのハウステンボスの滞在も目的だったのでは等と思ってしまうのですが。そしてロシア、さらに中南米をまわる日程です。
1994年、3rdレグは本国USAという3年がかりの長いツアーとなる予定でした。ツアー中に起きた不当な告発により本国アメリカでの公演は実現することはできませんでしたが、それでも最終的に24か国を巡り、69公演を行い350万人を動員します。
この基金は、マイケルも支援したライアン少年をきっかけとした小児エイズ基金、小児がんに苦しむ子供への支援、紛争地域で危機的な状況に置かれている子供たちへの支援等、様々な団体への支援活動も行われます。実際、1992年、国連とも連携し、億単位の支援物資の積み込みを空港で見守るマイケルがいたといいます。
1992年6月、ドイツ(ミュンヘン)から開始された『DANGEROUSツアー』の規模はBADワールドツアーを凌ぎます。それは世界情勢の変化にもありました。1989年11月のベルリンの壁の崩壊に象徴される東西冷戦が集結した事により、東欧やロシアという旧共産主義国家もツアーの開催地となります。92年はヨーロッパ各国をまわり、年末、東京の8公演で1stレグを終えます。私もこの東京公演に行く予定でした。
1993年8月からタイ(バンコク)からのアジアツアーが始まります。この時、再び日本(福岡)にも立ち寄ります。この福岡公演はけっこう意外な感じでした。実はマイケルがお気に入りのハウステンボスの滞在も目的だったのでは等と思ってしまうのですが。そしてロシア、さらに中南米をまわる日程です。
1994年、3rdレグは本国USAという3年がかりの長いツアーとなる予定でした。ツアー中に起きた不当な告発により本国アメリカでの公演は実現することはできませんでしたが、それでも最終的に24か国を巡り、69公演を行い350万人を動員します。
◆ BAD ワールドツアー(1987 - 88) ★ ハンドマイクで熱唱するマイケル・ジャクソンのボーカル力に圧倒された ★ [ツアー]
ORIGINAL 2012.11.13 Up
BAD25周年記念「ウェンブリー」のLIVE 映像を体感しました!本来、商品として発売を想定していたものではなく、マイケル自身の保存映像用として撮られていたという事で、発売前から映像のレベルや音質についていろいろ言われていましたが、個人的には素晴らしい仕上がりのLIVE 映像でした。マスター音源を使用したというだけあって音質がいい。『BAD25周年記念盤』ではLIVE CDもついていますが、それも納得です。
個人的に一番に挙げる部分が、「ボーカル力」の素晴らしさでした。最初の「スターティン・サムシン」から「マン・イン・ザ・ミラー」まで圧倒的なボーカルパフォーマンスです。「マンミラ」はエンディング曲にして相当なボーカル力を求められる曲。しかしマイケルは最後まで圧倒的なボーカルで歌いきります。普通にこれらの曲を歌いきるだけでも相当の身体的な力を要すると思いますが、さらにあのダンスパフォーマンスも加わるわけです。凄すぎます。
そして今回、すごい根本的な事に気づきました。あまりこの点に触れてる人はみかけないのですが。それはマイクの形状です。80年代は、ハンドマイク or スタンドマイクです。アーティストにとってこのマイクをうまく使いこなすものLIVEでは重要なポイントです。それこそマイクパフォーマンスってのもあった。そして『BADツアー』もマイケルはハンドマイクで全開のパフォーマンスです。
しかし、ハンドマイクは、マイケルのような素晴らしいDANCEパフォーマンスをするアーティストにはネックの部分がある。どちらかの手が使えなくなるからです。
BAD25周年記念「ウェンブリー」のLIVE 映像を体感しました!本来、商品として発売を想定していたものではなく、マイケル自身の保存映像用として撮られていたという事で、発売前から映像のレベルや音質についていろいろ言われていましたが、個人的には素晴らしい仕上がりのLIVE 映像でした。マスター音源を使用したというだけあって音質がいい。『BAD25周年記念盤』ではLIVE CDもついていますが、それも納得です。
個人的に一番に挙げる部分が、「ボーカル力」の素晴らしさでした。最初の「スターティン・サムシン」から「マン・イン・ザ・ミラー」まで圧倒的なボーカルパフォーマンスです。「マンミラ」はエンディング曲にして相当なボーカル力を求められる曲。しかしマイケルは最後まで圧倒的なボーカルで歌いきります。普通にこれらの曲を歌いきるだけでも相当の身体的な力を要すると思いますが、さらにあのダンスパフォーマンスも加わるわけです。凄すぎます。
そして今回、すごい根本的な事に気づきました。あまりこの点に触れてる人はみかけないのですが。それはマイクの形状です。80年代は、ハンドマイク or スタンドマイクです。アーティストにとってこのマイクをうまく使いこなすものLIVEでは重要なポイントです。それこそマイクパフォーマンスってのもあった。そして『BADツアー』もマイケルはハンドマイクで全開のパフォーマンスです。
しかし、ハンドマイクは、マイケルのような素晴らしいDANCEパフォーマンスをするアーティストにはネックの部分がある。どちらかの手が使えなくなるからです。
◆ VICTORY TOUR(1984)ビクトリーツアー ☆ 今や伝説、絶頂期のマイケル・ジャクソンがブラザーとともに躍動する、ジャーメインも復帰 - ☆ [ツアー]
original 2012.8.29Up!
マイケル・ジャクソンのワールドツアーについて前回取り上げてみましたが、今回から一つずつPick Upしてみたいと思います。(ご要望の強かったビクトリーツアーの記事の再アップです)
1984年の『ビクトリーツアー』です。今や伝説のツアーといってもいい。それは,ジャッキー、ティト、マーロン、ランディ、そして長らく離れていたジャーメインも加わり、ブラザーとの最後のツアーとなった事、26歳、最高のボーカル状態のマイケル・ジャクソンの抑えようのないエネルギッシュなパフォーマンスだった事による。
ファンの中でも待ち望まれていたBADツアーの2ndレグのLIVEもついにDVD化され、BAD25周年記念盤に収録されますが、やはりビクトリーツアーのボーカルとエネルギーはすごいものがあります。マイケルは息切れひとつしていない。Dance系の曲は意外とごまかせるのだけど、バラードの息切れはけっこうごまかせない。しかし、80年の「トライアンフツアー」と同様に「ビクトリーツアー」でのマイケルのボーカル力は最高級です。
現在(2012年時)、USAではランディーを除くジャクソン兄弟4人が集い、再結成ツアーを行っています。年末には日本にもやってきます。ジャーメインも加わった兄弟が集結してツアーに出るのはこの「ビクトリーツアー」以来、28年ぶりの事なのです。しかし、そこにはマイケルはいません・・・ 最強の6人のジャクソン兄弟がそろってこの日本でのパフォーマンスを見たかった。
マイケル・ジャクソンのワールドツアーについて前回取り上げてみましたが、今回から一つずつPick Upしてみたいと思います。(ご要望の強かったビクトリーツアーの記事の再アップです)
1984年の『ビクトリーツアー』です。今や伝説のツアーといってもいい。それは,ジャッキー、ティト、マーロン、ランディ、そして長らく離れていたジャーメインも加わり、ブラザーとの最後のツアーとなった事、26歳、最高のボーカル状態のマイケル・ジャクソンの抑えようのないエネルギッシュなパフォーマンスだった事による。
ファンの中でも待ち望まれていたBADツアーの2ndレグのLIVEもついにDVD化され、BAD25周年記念盤に収録されますが、やはりビクトリーツアーのボーカルとエネルギーはすごいものがあります。マイケルは息切れひとつしていない。Dance系の曲は意外とごまかせるのだけど、バラードの息切れはけっこうごまかせない。しかし、80年の「トライアンフツアー」と同様に「ビクトリーツアー」でのマイケルのボーカル力は最高級です。
現在(2012年時)、USAではランディーを除くジャクソン兄弟4人が集い、再結成ツアーを行っています。年末には日本にもやってきます。ジャーメインも加わった兄弟が集結してツアーに出るのはこの「ビクトリーツアー」以来、28年ぶりの事なのです。しかし、そこにはマイケルはいません・・・ 最強の6人のジャクソン兄弟がそろってこの日本でのパフォーマンスを見たかった。