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◆ マイ・フレンド・マイケル〈後編 〉マイケルの死のカウントダウンは1993年からはじまっていた。なぜマイケルは50歳という若さで死ななければならなかったのか・・・ [著書]


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 マイケル・ジャクソンの命日、6月25日にあえてこの重く向き合うことがつらいテーマを取り上げました。フランク・カシオが執筆した『マイ・フレンド・マイケル』、30歳の年齢差ではるけど、彼はマイケルの身近にいつもいてマイケルの理解者でもあった。

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 前回は、作り込まれた『Leaving Neverland』に反論できる内容をこの著書から読み取りました。そして、マイケル・ジャクソンが50歳という若さで、不本意な死をとげなければならなかったのか?というものもこの著書から読み取ることができました。

 2009年6月25日、ニュース速報で流れたマイケルの訃報を聞いたとき、突然でとても信じる事ができませんでした。自ら久々に表舞台に登場し『This Is It』公演を高らかに発表したばかりで、マイケル復権に向けて動き出していた矢先だったからです。しかし、こうして冷静に振り返って情報を分析したどっていくとマイケルの死は必然のように思えてきました。
 
 なぜフランク・カシオの著書からこの事を読み取れるかというと、フランクは、マイケルの息子的な立場から、理解者へ、さらに個人秘書、片腕として、一つの体しかないマイケルにかわって、時にはマイケルの目となり耳となり、ある意味スパイ的な役割も担い動いていたからです。こうしてマイケルの置かれている状況を肌で感じていたのです。時にはフランク自身が防波堤にもなったりもした。
 1998年、ハイスクール卒業後、18歳になったフランク、就職もせず将来が定まっていなかった彼を、マイケルは韓国で開催していたマイケル・ジャクソン&フレンズ(マライア・キャリーや
オペラのパヴァロッティ等も参加)というイベントに呼び寄せ、自身の身の回りの世話とサポートの依頼をする。これがフランク・カシオが最初に関わったビックイベントだった。
 フランクはマイケルのマネージャー、そしてその後、代理人のような立場にもなっていきます。フランクはマイケルにこう言われます。「他の人にさせる事もできたけど、あえて君を選んだ。君には大きな可能性があり、成長するところをみたい」と。さらに「力のあるポジションについた君に、多くの人が嫉妬するだろう。中には僕たちを仲違いさせようとする人もいるだろう。でも、ぜったいにそんなことにはならないと」と。しかし、マイケルのこの言葉は3年後に的中する事になるのですが。
 
 
そして、晩年のマイケルの置かれた状況とその心情についてここまで記している著書はないと思います。マイケルが発した言葉がそこにあります。フランク・カシオの主観も入っているとは思いますが、フランクはバランス感覚のある人だと感じます。偏った見方をしていないのを文脈からも感じます。私は、これまでもいろいろなマイケルに関する本や、情報、海外で制作されたCS等でも放送しているドキュメンタリー等、数多くのものにふれていますが、そこで感じていた晩年のマイケルの置かれた状況とフランクの言葉は合致するのです。

 飛行機に乗ることが多かったマイケルですが、フランクにこう述べて、彼もはっきり覚えているという言葉。「僕と飛んでいるときは墜落の心配はしなくていい。僕は飛行機事故じゃぜったい死なない。死ぬときは銃で撃たれるんだから」と。マイケルは事あるごとにこの事を言っていたといいます。マイケル自身、愛する人に囲まれて安らかに眠るような死を迎えれることはないと本能的に感じていたのでしょうか。
 
晩年のマイケルは、人間不信と苦悩の中にいるように思えます。そんな中でも、授かった3人の子どもたちはマイケルの救いであり、癒やしであり希望であったことも感じることができます。
 

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◆ マイ・フレンド・マイケル 幼少の頃からマイケルと多くの時間を共有したフランク・カシオによる人間マイケルの真実 〈 前編 〉 [著書]

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 フランク・カシオ、この名前、マイケルファンなら知っている名前だと思う。1980年生まれのカシオと1958年生まれのマイケル。22歳の年齢差といえば親子といってもいいかもしれない。
 4歳の時にマイケルと出会ったフランクだが、マイケルとは、ともだちであり親子であり、ビジネスアシスタントという関係にもなっていく。そのフランク・カシオがマイケルの事を綴った著書がこの『マイ・フレンド・マイケル』だ。

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 数多くあるマイケル関連の著書の中でも、ここまで人間マイケルに迫ったものはないように思う。そして栄光というより、苦悩に満ちた93年以降のマイケルを身近で見てきたのが彼なのです。
 この著書は、マイケルの逝去の2009年の2年後、2011年に刊行されたもの。天国のマイケルも「フランク、こんな事まで書いちゃって」って苦笑いしているかもしれない。
 そして現在、ドキュメントの名のもとにダン・リードによって作りこまれた番組『リービング・ネバーランド』で、死してなお渦中の人となっているマイケル。ウェイド・ロブソン(1982年・生)とジェームズ・セーフチャック(1986年・生)の2人が幼少時代マイケルに性的虐待を受けたと告白しているものだが、何の検証もなくただ二人の発言を流しているのみ。そしてあまりにも具体的な内容にインパクトを持つわけですが・・・この作品(と呼ぶにも値しない)を肯定的にみる評論家の町山智浩氏にも、まずは見てから判断してほしいと投げかけられたけど、毒されているものにふれる気がおきない。
 ただこの二人が性的虐待の経験があるのは事実かもしれない。そこまで否定する気はない。ただ、その虐待経験をマイケル・ジャクソンに置き換えている所がすごく悪質だと思う。そして、ここにきて数多くの矛盾点が次々と露呈されています。偽りの告白だったと暴かれる日は近いでしょう。
 そしてこのカシオによる著書も、ある意味マイケルの無実を証明するのものだと思う。フランク・カシオは、マイケルにとっていかに子どもたちが神聖で大切な存在であるかを身近で感じてきた。
 さらに生前中、マイケルを訴えたチャンドラー家のジョーディー・チャンドラーとネバーランドで友達として一緒の時間を過ごしている。第2の事件となったキャビン・アルビーゾとその家族の事も知っているし、この時には、カシオ自身もマイケルの共犯者として訴えらている立場もあるのだ。(もちろんマイケル共々無罪だが)
 
 イタリアの移民としてアメリカに来たカシオ家。ニューヨークの名門ホテルのVIPエリアの担当マネージャーだったのがフランクの父・ドミニクだった。その職務の誠実さと人柄にマイケルが惚れ込み、ドミニク家との交流が始まり、その子供たちとのふれあいも始まったのです。クリスマスを一緒に過ごす仲ともなる。まさにマイケルの第2の家族となる。
 フランクは、後にビジネス面でもマイケルをサポートするような立場になる。これまた才能あふれる2歳下の弟・エディー(1982年生)もマイケルと音楽面での交流をもつ事となる。マイケル死後に発表された『MICHAEL』に収録されたあの賛否両論のカシオトラックの共作者だ。
 この著書が意味を持つのは、単なるマイケル崇拝本ではないという事だ。時に、フランクは、あのスーパースターマイケルに苦言を呈しているし、マイケルの苦悩や病みというダークな面も記している。晩年のマイケル・ジャクソンをめちゃくちゃ近くで感じることのできる内容。それがすべてのファンにとって心地よさだけを感じる内容でないのは確かだ。だからこそそこにある意味説得力も感じる。
 そしてフランクも幼少の頃からマイケルと一緒に寝室をともにした人間だ。マイケルを小児愛者というのなら、このフランクがその空気感と違和感をマイケルから感じたに違いない。が、著書の中でもマイケルにそういった面は一切なかったと述べているし、マイケルの好みの女性(背が高くて細身で知的だって)のタイプやセクシーな女性とマイケルのワンナイトラブ的な出来事まで書いている。フランクとマイケルの悪ふざけエピソードも満載。フランクはマイケルの悪ふざけをアウンで感じ取ってそれにのっかり、相手が立ち去った後、二人で大笑いしている等、ほんと親友にちかい空気感。
 他にもけっこう驚きのスクープネタも満載なのです。今回、『Leaving Neverland』の件を受けて、このフランク・カシオの著書での反証できるものを取り上げてみたいと思う。

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