SSブログ
マイケル裁判について ブログトップ

◆ マイケル・ジャクソン 児童虐待疑惑 愛の哀しみの真実を見て マイケルの無実が証明された裁判を振り返る [マイケル裁判について]

                                     オリジナル2009.12.18Upに加筆

 mjjsaiban.jpg 

 『マイケル・ジャクソン 愛と哀しみの真実』は、マイケルの亡くなった年の2009年の12月16日に日本テレビで放送されました。マイケルの死後、このような番組が放送されるとは思いませんでした。この番組は、マイケルの父親・ジョーの独占インタビューや、関係者の重要な証言を交えマイケルの死の遠因となったとも思える二度にわたる児童虐待疑惑と裁判に焦点をあて、丁寧に制作された番組でした(ナレーションは雨上がり決死隊の宮迫博之氏→実はうまい)。
 
 2003年の裁判となったマイケルの児童虐待の完全無罪判決までの流れは知っていましたが、具体的な再現ドラマ(マイケル役は賛否両論でしょうが、雰囲気は似てる)、実際の証言テープをまじえての構成はとてもわかりやすいものだった。日本テレビは、特にマイケルよりの番組を制作する意図はないと思いますが、事実を冷静につなぎ合わせるといかにこの二つの疑惑がひどいものというか、茶番としか言いようがないものである事をこの番組を通して証明してくれている。
 そして、この事実を知った上で客観的に考えたら、原告側に裁判で勝てる要素は到底ないと思われるのに、幼い子供の発言、裏で糸をひく親の証言を鵜呑みにし、マイケル有罪と決めつけ起訴をし、裁判で執拗にマイケルを裁こうとした検察側の動きにも違和感をもつ。その中心となったのがトム・スネドン検事(既に2014年73歳没)。この男は何を根拠にここまでマイケルを有罪にしようと執念を燃やしたのか。
 マイケルの精神と尊厳をとことんまで傷つけたこの裁判は、14回の「無罪」が法廷で言い渡され結審した。当然といえば当然の判決です。マイケルの無罪が晴れ喜びましたが、それ以上に最後に残った感情は、怒りと虚しさでした。私はそんなに人間できていないから、やはりあの家族たちと、「人の不幸は蜜の味」的なマスメディアへ対しての怒りがおさまらなかった。よくも死の淵に立っていた少年を全力で助けようとしたマイケルに対して、恩を仇で返す以上の事ができたわと。
 

「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」ということは私にはできないわ。基本「目には目を、歯には歯を」でいいと思っています。やられたらやり返すという意味ではないです、犯した罪に関してです。それは同害報復でいいと思っています。いま裁判員制度が軌道にのりつつありますが、人を殺しておいて、無期懲役はないと思います。今の基準では2人殺したら死刑だそうですが、その基準はなんなの?って思いますよ。罪を憎んで人を憎まずという言葉もありますが、殺人はレベルがちがう。それぞれ貧困だ、不遇な環境だという背景があるような案件も目にしますが、人を殺すといういう大罪の前では何の理由にもならないと思う。おれが裁判員制度で選ばれたら、殺人を犯したものには死刑を選択します。

続きを読む


コメント(4) 
共通テーマ:音楽
マイケル裁判について ブログトップ