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◆ マイケル・ジャクソン 『Dangerous』完成までの道のり - 前編 - ビル・ボットレルの功績 [アルバム考察]

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  MJフリークたちによる、トークショー「MJ熱中夜話」というものが開催されている。そこでMJの90年代の金字塔『DANGEROUS』の制作秘話等が語られるらしい。楽しそうだな~。なんか触発されて、以前書き上げた記事に追加、修正したものをUP!

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 『BAD』は87年7月に発売され、USAでは7枚、UKでは9曲のシングルがきられます。UKでの最後のシングル「リベリアンガールは」89年7月にカットされています。そして世界はまたマイケル・ジャクソンの次のアルバムを待ち望むわけです。 

 1987年9月から始まった『BAD』ワールドツアー、440万人を動員し大盛況のうちに89年10月に終え、マイケルは次のアルバムに向けての準備も整えていったと思われます。
 この頃、レコード会社主導でマイケルのBESTアルバム『DECADE1979-1989』の発売が進められていた模様。

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 エンジニアのブルース・スウェディンによれば、『BAD』が完成した日の翌日から、マイケルは次作に向けてのデモ・テープを制作していたといいます。クインシー・ジョーンズとの歴史的な3部作も生み出し、90年代に突入する節目にマイケルのベスト盤を発表するという意図はよくわかります。この2枚組のベスト盤、新曲数曲をつけて発表するというプランで、No1ソングはすべて収録され、興味深いところではJacksons名義の「Heartbreak Hotel」や「State Of Shock withミック・ジャガー」も収録リストに入っている。
 さらに「Someone In The Dark」、「Come Together」等当時ではレアトラックも収録。
 そして、新曲として下記の曲があげられている。

・ Black or White
・ Heal The World
・ Who Is It
・ I'll Be There (adult version)
・ Never Can Say Goodbye(adult version)


 もともとマイケルはベスト盤のようなものを好まない。わくわくドキドキするような新曲をファンに聞いてもらうことを信条としていた。でもレコード会社的には出して欲しい側面(売れるし新たなファン層の獲得にもつながる)がある。最終的に、従前のヒット曲の選定はできたと思われますが、新録曲の収録選定がまとまらずこのベスト盤のプランは流れることになります。(でもこの感じは『History』にもつながる。結局、Disk2が全曲新曲になって発売されたけど)

 『BAD』期以降、マイケルは湯水のごとく湧き出る楽曲をストックしていたと思われます。そして『DECADE』が流れ、実際にニューアルバムとしての本格的なレコーディングに1990年6月からとりかかり、1年2ヶ月をかけて『DANGEROUS』を完成させるのです。
 最終的に『デンジャラス』は1991年11月に発売されます。『BAD』から4年ぶりとなるアルバムですが、ワールドツアーを行い、様々なプロジェクトもこなし、合間に曲を作っていったという。マイケル的には、ほんとのんびりする事なく次作に取り組んでいた感じです。
 そして、マイケルはまだ『スリラー』を超える作品を作るという思いを捨てきれていませんでした。アルバムセールスの目標も1億枚。

 これまでもBlack系プロデューサーの所でもいろいろとりあげていますが、『BAD』の制作後、88年からさらにテクノロジーは進化します。シンセサイザーや、ドラムプログラミングなど、機器で様々な斬新な音を作ることを可能にしました。そのテクノロジーと、ミュージシャンシップをもった才能が融合し、ジミー・ジャム&テリー・ルイス、LA&BABYFACE、テディ・ライリーなどのような斬新な音を作るR&Bプロデューサーが、R&Bだけでなくシーンを席巻するようになります。(余談ですが、90年代後半、さらに音のサンプリングが容易になり、Remixという手法などでショーン・パフィー・コムズ(P.Diddy)などが登場。ループ感がなじむHip Hop フィールドでさらに進化していった感じです)

 さてそんな背景の中、マイケルは新しいアルバム制作に着手します。クインシー・ジョーンズとはやりつくした感じがあったと思います。それはクインシーとの3部作の流れを見てもわかります。契約上も、クインシーとは3作の制作するというものだった模様。
 この辺から、いろいろなものを聞きいたり見ている私の推測です(2010.3月時の考察だけど)。

 1979年の『Off The Wall』はいろいろなジャンルの音楽を知り尽くしているクインシー色が強いアルバム。そして、1982年の『スリラー』では、ライターとしてのマイケル・ジャクソンの進化を感じますが、やはり音の主導はクインシーが握っているように思います。
 そして、1987年の『BAD』です。この作品は、かなりのマイケルの主張を感じます。クインシー側も、馴染みのロッド・テンパートンなどの曲をもちよったと思うのですが、最終的には11曲中9曲がマイケル作の曲となりました。この時クインシー側が『BAD』のために用意してマイケルが採用しなかったロッド・テンパートンの曲のいくつかが、88年に発表されている、秘蔵っ子サイーダ・ギャレットのデビュー・アルバム『Kiss Of Life』や、89年のクインシーのソロ作『Back On The Block』に収録されたと推測しています。
 ただクインシー主導の路線で『BAD』を制作していたら、クインシ-色の強い『スリラー』の延長線上のアルバムになっていた気がします。『BAD』はマイケルが自分の作品を中心に作り上げた事により、『スリラー』とはちがうカラーになったと思います。
 そして、その流れは『Dangerous』でもさらに強まります。マイケルは、ある意味脱クインシーに挑んだ。クインシーの力を借りずとも自分がアルバム制作をコントロールするのだという思いを強く持ったと思います。
 マイケルは、『BAD』のように自分の書いた曲をメインにしてアルバムプランをねっていきます。そしてそのサウンドブレインに任命されたのがビル・ボットレル(以前はビル・ボトレル表記だった)でした。エンジニアでクインシーファミリーでもあるブルース・スウェディンの力も借ります。
 
 ここで思うのが、マイケルの時代を読む嗅覚のすごさです。よく80年代、90年代と10年区切りででサウンドや流行が語られますが、89年辺りから80'Sと言われるサウンドの感触が変わっていきます。その大きな流れの一つがオルタナティブ・ロック(Alternative Rock)です。
 正直な所、好きなジャンルでないので語れません。オルタナティブって、きちんとした定義を知るまでノンジャンルの、マイナー的な無国籍風ロックかと思ってたし。
 オルタナティブとは、「もうひとつの選択、異質な、反主流」という意味合いで、ニルヴァーナがその流れを作った。80年代から活動するレッド・ホット・チリ・ペッパーズのこのオルタナティブの流れにはまり90年代になり大ブレイク。この系統の流れだとR.E.M、Coldplayが浮かぶ。(でもアルバム1枚ももってません)反メジャー的な反骨精神が充満している。
 でボットレルはそのオルタナティブ的な、カントリーやフォーク、ブルース的な感触もまざったロックサウンドを作ることができた。マイケルとのWORKの後、シェリル・クロウを手がけ、1994年のグラミーで最優秀レコードも獲得するわけで、時代の流れにのったCreaterだった。(さらもシェリルはマイケルのBADワールドツアーでDUOパートナーとして同行もしていた)
 ビル・ボットレルに関しては、『DANGEROUS』でそのクレジットを初めて意識するわけですが、西寺郷太氏の著書でジャクソンズの『Victory』(84)からの関わりと知る。
 ボットレルは、白人だし、その音もぜんぜん黒くない。しかし、オルタナティブ・ロックという流れにのったプロデューサーだった。その時代の流れを見抜いているマイケルはすごい、とあらためて思う。
 そして、ボットレルと以下の曲を作り上げる。

・ Black Or White  (『Dangerous』収録) 『DECADE』収録予定曲
・ Who Is It     (『Dagerous』収録)  『DECADE』収録予定曲  
・ Give In To Me   (『Dangerous』収録)
・ Dangerous        (後にTeddy RileyがRemixし『Dangerous』収録)
・ If You Don’t Love Me (公式リリースなし)
・  Monkey Buisiness   (Ultimate 収録)
・ What About Us (Earth Song) (David Fosterも加わり『History』に収録)

 「Black Or White」は、前述のベスト盤『DECADE』の目玉曲だったと思う。けっこう早い段階からできていた。これまでアルバムからの先行シングルは、割と地味目な曲を持ってきて2ndが勝負曲みたいな流れがあったけど、混沌とする90年代、80年代アーティストが次々とヒットから離れていく中、マイケルはこの無国籍風、ミクスチュア、ある種オルタナティブRock的(さらにRapも融合するという)な勝負曲を先行シングルに選び、見事にそれが当たる。

 「Who Is It」も「This Place Hotel」や「ビリージーン」の流れからくるマイケル色の強い曲。(この曲のさらに原型として「Mind Is Magic」という曲も存在します)

 「Give In To Me」もこれまたマイケルの好きなロック曲。ガンズ・アンド・ローゼズ(GN'R)の凄腕 ギターリスト、スラッシュも招き話題性もあります。今回はブルース色も感じる。
 
 そしてこれまたマイケル色の強い「デンジャラス」。初期バージョンは、Ultimateにも収録されていますがTeddyがからんでいないのでリズム・アレンジメントが全然ちがいます。ビル・ボトレルも絡んだ「Dangerous」が最初の形だったとは驚きだった(さらに「Streetwalker」の進化だと)。案外、こっちの方が好み人も多いかも。
 
 公式には出ていませんが王道のパンクロック「If You Don’t Love Me」。こんな曲をマイケルがするとは意外です。ロックン・ローラーだったというビル・ボットレル主導の曲だと思います。
 
 Ultimateに収録された「Monkey Business」。マイケルの曲の中でもリリックも凝ってる。
 
 そして、『Dangerous』に収録されず95年の『History』に収録され、近年、すごく注目されている「Earth Song」もこの時点では「What About Us」という曲でした。「Earth Song」では後半、攻撃的で激しいシャウトでしたが、「What About Us」ではファルセットボーカルになっています。

・  She Got It             (公式リリースなし)
・  Serious Effect with LL COOL J  (公式リリースなし)

 上記2曲もビル・ボットレルとの曲ですが、さらに(公式かは不明ですが)Teddy Rileyのクレジットがあるのが注目であり、謎です。後ほど触れますが、Teddyは最終的に『Dangerous』のメインプロデューーサーになるわけですが、この初期段階の関わりは何なのだろう?と思うわけです。
 公式リリースされていない「She Got It」も斬新なリズムアレンジメントとロックTasteを加えた曲です。「Dangerous」同様、ボットレルが最初に作っていた曲に、Teddyが後から手を加えたのか?Teddy色は薄い。
 Hip Hopを意識したリズムアレンジメントとRappinにLL Cool Jを招いた「Serious Effect」はTeddy Rileyっぽい。

 そして、マイケル自身がプロデュースもした曲。

・ Heal The World  (収録 ブルース・スウェディン共同Pro / DECADE収録予定曲)
・ Keep The Faith (収録/ブルース・スウェディン共同Pro)
・ Gone Too Soon (収録/ブルース・スウェディン共同Pro)
・ For All Time   (見送り/TOTO勢曲)
・ Work That Body  (with ブライアン・ローレン/公式リリースなし)
・  Happy Birthday Lisa (公式リリースなし)

 
 「Heal The World」は、『DECADE』収録曲でしたが、『DANGESROUS』初期プランには入っていなかった。後に、多くの人に愛されたこのメッセージソング、世に出てよかった。
 
  「Keep The Faith」は前回「マン・イン・ザ・ミラー」を提供したサイーダ・ギャレットのPositiveな曲を今回も採用。サイーダ自身のこの手の曲が得意なのか、自分のアルバムにも同じ系統の曲を収録しています。
 
   早すぎる死を迎えた少年に捧げた美しいバラード「Gone Too Soon」。
 
   さらにミネアポリスを意識した「Work That Body」。マイケルがプリンスっぽい曲をするとは意外。最初ジャム&ルイスProduceかと思いましたが、ブライアン・ローレン作。
 
 美しいバラード「For All Time」。『スリラー』の収録が見送られたTOTO勢の曲。25周年盤『スリラー』に収録。
 
 「Happy Birtheday Lisa」はリサ・プレスリーに捧げた曲かと思ったら、USAのニヒルアニメ作品「シンプソンズ」に登場するキャラクターへの曲のよう。こういう小曲、マイケル作品の中ではめずらしい。
 出回っているブート盤からも推測するに、当初この構成でマイケルのニューアルバムはスタートとしたと思われます。しかし、マイケルは不満だったのでしょう。この楽曲群では、1億枚をこえるセールスは見込めない。何か決定的なものが足りないと感じたのではないでしょうか。確かに、オルタナティブ的な感触は十分だけど、これまでのマイケル作品にあった圧倒的なキャッチーさもうすい。これまでのマイケルのベースであるR&B的な要素も薄く、激動する90年代シーンの中ではインパクトもうすい。
 
 マイケルも足りない部分がわかっていたよう。それが、斬新なリズムと強烈なビートだったと思います。そしてそれを生み出す才能として目を付けたのが、R&B/Hip Hopプロデューサーのテディ・ライリーだったのです。
 彼のテクノロジーに対する斬新なサウンドアプローチは、ニュージャックスウィングと呼ばれ、87年以降シーンを席巻していました。当時、22歳の若者だったテディは、憧れのスーパースターのマイケルから声がかかって「びびった」と言ってます。
 ただ当時、テディの勢いはピークから下り坂に入っていた印象。しかし、マイケルはテディーを選びます。2人は意気投合。マイケルも若きエナジー・テディーから多くのものを吸収したはず。そして、テディー・ライリー自身もマイケルによりその才能が再びスパークし、これまでにないサウンドを生み出していく。テディーは、マイケルが用意したVIP待遇の住まいも提供され、これまたなんでも揃っているスタジオにこもりマイケルの要求するレベルの作品を作り上げていきます。テディが加わった事で、『Dangerous』はまったくちがう形に変わっていきます。 (後編へ)

デンジャラス

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2018/03/21
  • メディア: CD
 

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