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◆ DANGEROUS ワールドツアー (1992-93) ★ 東欧や中南米もまわりMJが世界を魅了する、しかし・・・想定外の終幕を迎える ★ [ツアー]

                                                                                                          ORIGINAL  2013.1.22 Up
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 90年代に入り、クインシー・ジョーンズからTeddy RileyにメインProducerが変わり、『Dangerous』を発表。そこではNewスタイルのマイケル・ジャクソンのSOUNDが展開されます。

Dangerous (2015)

Dangerous (2015)

  • アーティスト: Michael Jackson
  • 出版社/メーカー: Epic
  • 発売日: 2015/09/04
  • メディア: CD

 さらにマイケルのビジュアルも、尋常性白斑という皮膚疾患が原因とはいえ80年代のそれとは異なるものになります。そして再び MJは世界ツアーにも旅立つことになります。 『BAD』ワールドツアーの際、当初マイケルは「これが最後のツアーになる」と宣言していました。それほどの思いをもたないとこれだけの規模のワールドツアーをこなすのは難しいのかもしれません。一方で、マイケルはステージは自身の家だと言うことも述べている。そしてそこでファンとむすびつく。

 ワールドツアー終了宣言を撤回した最大の要因は、“ヒール・ザ・ワールド基金”の設立にあったと思います。デンジャラスツアーは、ある意味この基金のプロモーションでもあったのです。マイケルはこの頃から、“地球の癒し”と飢餓や貧困、虐待、病気に脅かされている無力な子供たちを救うという強烈な使命感が芽生えているように思います。
 この基金は、マイケルも支援したライアン少年をきっかけとした小児エイズ基金、小児がんに苦しむ子供への支援、紛争地域で危機的な状況に置かれている子供たちへの支援等、様々な団体への支援活動も行われます。実際、1992年、国連とも連携し、億単位の支援物資の積み込みを空港で見守るマイケルがいたといいます。
 
 1992年6月、ドイツ(ミュンヘン)から開始された『DANGEROUSツアー』の規模はBADワールドツアーを凌ぎます。それは世界情勢の変化にもありました。1989年11月のベルリンの壁の崩壊に象徴される東西冷戦が集結した事により、東欧やロシアという旧共産主義国家もツアーの開催地となります。92年はヨーロッパ各国をまわり、年末、東京の8公演で1stレグを終えます。私もこの東京公演に行く予定でした。
 1993年8月からタイ(バンコク)からのアジアツアーが始まります。この時、再び日本(福岡)にも立ち寄ります。この福岡公演はけっこう意外な感じでした。実はマイケルがお気に入りのハウステンボスの滞在も
目的だったのでは等と思ってしまうのですが。そしてロシア、さらに中南米をまわる日程です。
 1994年、3rdレグは本国USAという3年がかりの長いツアーとなる予定でした。ツアー中に起きた不当な告発により本国アメリカでの公演は実現することはできませんでしたが、それでも最終的に24か国を巡り、69公演を行い350万人を動員します。
 

 先般のBAD25周年記念盤が発表されるまで、マイケルの公式のLIVE映像は、『Dangerousツアー』のブカレスト(ルーマニア)の公演のみでした。

ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]

ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]

  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2005/12/07
  • メディア: DVD

 80年代、マイケルのLIVEが東ヨーロッパ諸国やロシアで行われるなんて考えられなかった。しかし1989年、東西冷戦が終結し、こうしてルーマニアでもLIVEが行われる事となるのです
。そして、首都のブカレストは孤児院が整備されておらず、子供たちの置かれている状況は切迫していた。そういう現状を世界に訴えるべくマイケルは、このブカレストで基金設立の会見を行い、LIVE映像もこの地のものが選ばれます。共産国家は、ある意味文化的なものも統制されていましたので、このようなエンターテイメントにふれる機会も少なかった。その状況で、史上最高のエンターテイナーのLIVEを体感するのですからルーマニアの人たちの熱狂ぶりはすさまじいものがあります。失神者続出です。

 そのデンジャラスツアーの曲目です。

1  Jam   (from 『Dangerous』) New!
2  Wanna Be Startin' Somethin  (from 『スリラー』)
3  Human Nature  (from 『スリラー』)
4  Smooth Criminal  (from 『BAD』)
5  I Just Can't Stop Loving You New!(from『BAD』)
6  She's Out Of My Life  (from『Off The Wall』
 - Jackson 5 Medley -
7  I Want You Back
8  The Love You Save
9  I'll Be There
10 Thriller  (from『スリラー』)
11 Billie Jean (from『スリラー』)
14 Working Day and Night (from『Off The Wall』)
15 Beat It  (from 『スリラー』)
16 Will You Be There (from『Dangerous』)New!
17 Black Or White    (from『Dangerous』)New!
18 Heal The World  (from『Dangerous』)NEW!
19 Man In The Mirror (from『BAD』)

 『BAD』ツアーまででも最強と思えたセットリストですが、さらに『Dangerous』のエッセンスが加わります。それが「Jam」「Black or White」「Will You Be There」「Heal The World』(後半のツアーでは「Dangerous」も加わる)。
 『Dangerous』からのヒットシングル、「Remember The Time」はリハーサルでは行っていましたが、本番ではされず。リハ映像を見ましたが、舞台の演出の難しさと楽曲的にもライブの盛り上がりに若干欠けるという事で外れたように思います。
  さらに『Off The Wall』からの定番曲「Rock With You」、ジャクソンズとしても馴染みの「ハートブレイクホテル」「ラブリー・ワン」と「SHAKE YOUR BODY」も外れます。これらの曲は普遍のスタイルと価値観を持っていると思いますが、ジャクソンズ名義の曲を外し、マイケルのソロ色が一気に強まります。
 『Dangerous』ツアーの2ndレグ以降、終盤の「Beat It」と「Working Day and Night」が外れ、93年1月AMAで初披露され、また伝説のステージとなった
「Dangerous」のパフォーマンスが入ります。
 
 『Dangerousツアー』の流れを見てみます。
  オープニングの「Jam」のかっこいいBeatで観客は一気にボルテージがあがる。メッセージ性もある文句なしのイントロ曲です。そしてこれまでのオープニング曲だった「スターティン・サムシン」に引き継がれる。
 3曲目「Human Nature」でCool Down。『This Is It』でもあらためて評価されたこの曲も外せない1曲です。
 ファンでも人気の高い「Smooth Criminal」の世界観がステージで展開されます。
 「Can't Stop Loving You」は、オリジナルのDUOの相手でもあり、バックボーカルでツアーに参加しているサイーダ・ギャレットがつとめます。いい感じです。
 「あの娘が消えた」はハンドマイクでの熱唱です。マイケルのボーカルの美しさに魅了されます。
  定番のジャクソンファイブメドレーが入り、後半へ。
 「スリラー」の演出もより凝っています。まさにあのショートフィルムの世界がステージで再現される感じです。そして「ビリージーン」の伝説のパフォーマンスもステージで展開されます。マイケル作でもある「Workin Day and Night」はマイケルの超お気に入りなのか。『Off The Wall』からの楽曲です。この頃のFunkyなGroove。
  そして、瞬間移動のマジックも入り「Beat It」へ。
 『Dangerousツアー』のこれまでにないスタイルは、「Will You Be There」だと思います。このスピリチュアルな集団群舞は心が揺さぶられる。素晴らしいパフォーマンスです。
 そしてエンディングのテーマをもった曲へ続く。新曲「Black or White」、「黒かろうと白かろうとそんな事は問題ではない」と自身の意志とは裏腹に白い肌のビジュアルになってしまったマイケルが歌います。
 このツアーのテーマソングともいえる「Heal The World」、そして「マンミラ」で夢のステージは幕を閉じる。
 『Dangerousツアー』は、ステージ上の演出もより凝ったものとなり、ショー全体の完成度もBADツアーも凌ぐように思います。そして、前回の『BAD』ツアーでも取り上げましたが、90年代マイクの形状も変わっています。ハンドタイプからヘッドセットへ。

 

 これによりマイケルのような歌って踊れるアーティストのDanceパフォーマンスはさらに魅せるものとなった。しかし、ダンスの疲労度も増すように思います。そこはいわゆる口パクで対応するのは仕方ないと思います。このスタイルですべての楽曲を踊って歌いきるなんて不可能だと思います。しかしマイケルは可能な限り、全身全霊で踊り歌い続けるのです。デンジャラスツアーの口パクはそんなに多くないと思います。
 そしてマイケルの肌の色です。いまや尋常性白斑という病気ということは周知の事実ですが、当時はまだ世間には浸透しておらず、白人になりたがっているマイケル・ジャクソンなどと揶揄された。マイケルは、自分のルーツをしっかりと認識し、決してBlackである事の誇りも忘れていなかった。しかし、ステージのマイケルは白人のようなビジュアルです。
 この辺は、オレのようなBlack大好き人間と80'Sのマイケルのかっこよさに魅了された人には、病気という事はわかっていても、どうしても違和感をもってしまう部分でした。だってBlackってほんとかっこよくて美しいんだもん。
 
 公式映像のブカレストLIVEですが、英国BBCで放送されたものもあります。公式映像は、けっこう観客のショットが多い。このようなエンターテイメントショーに接するのは初めてであろうルーマニア国民の熱狂振りはすごい。ただこの編集は、熱狂する聴衆のカットがやたらと多くて、演出的には盛り上がるけど、マイケルのパフォーマンスシーンが中断されてしまうという難点もあります。
 一方、BBC版はマイケルをずっと追うショットが多く、聴衆のカットが少ないので、マイケル中心に見れるのですが、一部、なんでここが切れるの?と驚くような切り替えがありいただけない。この両方をうまくミックスすれば最高の仕上がりになると思うのですが。これだけの最高の素材をうまく編集できていないのは残念でしかたない。
 
 個人的なエピソードですが、私、東京での22日の公演のチケットを4枚入手できたのですが、首都圏に車で入るという(今なら考えれない)無謀なことをしてしまい、案の定渋滞にはまり遅刻してしまうのです。友人にも申し訳ない事をしてしまいました。ドームに着いたときは、もうエンディング。アリーナ席は結構いい位置で「ヒール・ザ・ワールド」を歌うMJをステージに見る事ができます。
 当時の事を思い出すと、「あのマイケル・ジャクソンがいる。動いてるよ。あそこにいるよ」って感じでした。初めてドームに行った事もあり、そのドーム内の人の多さにも圧倒されましたが、「たった1人の人間が、どうして4万5千人もの人にこれほどの感動を与える事ができるのだろう」とも思いました。そして「マン・イン・ザ・ミラー」の熱唱でまさに夢のようなひとときが終わりました。その2曲でも最高に感動しましたが、マイケルのDanceは見れていないという・・・
 1992年の来日公演では、マイケルは日本の滞在を満喫した感じです。クリスマス休暇では、兄ティトの息子でもある甥の3T達と長崎のハウステンボスでくつろぐのです。
 翌1993年8月より、ツアーは再開されます。が、まさかこの時にあのような虚偽の告発がおき、ツアーを終了せざるえをえない状況になるとは誰が思ったでしょう。
 8月24日からデンジャラス・アジアツアーが始まるわけですが、その1週間まえの8月17日に、エヴァン・チャンドラーという男により、この男の13歳の子への児童虐待容疑というでっち上げの申し立てをうけロス警察が動き出すのです。このタイミングも絶妙です。このような事態が起こるなどマイケルとその関係者も思いもよらなかったことだと思います。マイケルが不在の中、自宅のネバーランドが家宅捜査を受けます。
 子供を救うべく立ち上がったMJが、どうしてその子供を虐待するという告発をされないといけないのか。あまりにもひどすぎるものです。マイケルのショックの大きさは、想像しがたいものがあります。東南アジアでのツアーを一部、キャンセル、延期したことにもうかがえます。気持ちを切り替えようにもあまりにもひどい濡れ衣。
 さらにマイケルはそこに何かしらの圧力、陰謀も感じたかもしれません。ただ金が目的の最低人間の告発がきっかけでしたが、それを発端に国家権力が動くわけです。その告発はきっかけにすぎず、何か目にみえない大きな陰謀が自分をねらっている事への恐怖も感じたかもしれません。
 そして翌9月には、ハウステンボスに滞在。この時、USAからのメディアが殺到したそうですが、ハウステンボス側は全面的にマイケルをガードしたといいます。前の年の92年、甥達とハウステンボスの滞在を満喫していた明るいマイケルが、今回は憔悴していたと言います。
 その後、日本を離れモスクワへ向かいます。これも旧ソ連という共産国家でのライブです。ある意味歴史的な出来事です。その苦難のとき、モスクワのHOTELで「ふと舞い込んできた」とできたのが「Stranger In Moscow」(『History』収録)だったといいます。皮肉ですが、こういう状況でなければ生まれえなかった楽曲かもしれない。リリックも素晴らしく、ビートルズっぽい雰囲気を感じる楽曲。そしてこの曲のレコーディングを終えた時、マイケルは自身の私小説的なオリジナルアルバム『History』の製作を決心したといいます。
 
 このエヴァン・チャンドラーという男(後にマイケルが逝去した同じ年の09年11月に自殺)がどんな人間か調べればわかるだろうに、メディアは世紀のスーパースターの児童虐待というセンセーショナルな部分だけをとりあげ、日本のメディアも検証することなくそれを垂れ流した。
 その後も、マイケルは本当に不屈の精神力でツアーのこなしていきます。訪れる国のファンはすべてマイケルを支援します。しかし、ただでさえ体力と集中力を要するツアーに、とてつもない精神的なダメージをうけ、鎮痛剤や、精神薬も服用するようになり、中毒症状を起こす状態になり、ツアーの続行が不可能という状況になります。マイケルも正式にツアーの中止の声明を出します。
 こうして本国USAでツアーは開催される事なく、不本意と言う言葉では言い尽くせない形でこの『Dangerousツアー』が幕を閉じるのです。こんな偽りの告発でこの最高のツアーを終えるなんて。
 この告発もマイケルの純粋さにつけこまれた。大の大人が児童と一緒に遊んだり、ベッドで寝たり、じゃれあうのはちょっと普通ではないとこはあると思います。ただ、そこに性的な要素が加われば事件だし大問題でしょうが、子供たちも心から楽しみ、喜び、マイケルも癒され、誰一人傷ついていない。マイケル・ジャクソンは本当に純粋な子供の心をもった大人だったんだと思います。それを罪というのでしょうか。
 もともとエヴァン・チャンドラーは金だけが目的だった。それはチャンドラー側の弁護士の秘書も「マイケルは完全にはめられた」と公に述べている。当初はMJ側も弁護士をたてチャンドラー側との交渉の場に応じていましたが、エヴァン側のあまりの無茶な要求にあきれかえり交渉を打ち切ります。相手にされなくなったチャンドラーは、子供を薬物で洗脳し、医師の前で性的虐待を受けたという証言をさせた事がきっかけとなり、その医師が通報し警察が動き出すのです。警察の介入はチャンドラー側が望んだものではなかったようです。彼は、ただ金さえ手に入ればよかったのですから。
 さらに少年が、マイケルの下腹部に関する発言をした事で、マイケルは性器を含む下腹部の写真を撮られることになります。マイケルは、全世界に向けて4分間のメッセージを発します。彼も会見の中で述べますが「自分の人生において最も屈辱的な瞬間だった」と。この時のマイケルの切実な会見を見て、彼が嘘をついているなどと思う人がいるでしょうか。4分間の言葉の一言一言に一片の嘘偽りを感じません。
 最終的に、少年の証言と実際の形状は一致しませんでした。当然です。しかし、その後、25億円という和解金でこの件が終結した事が、後々、誤解と新たなたかりを生む事になります。
 マイケルサイドは法廷闘争を望みませんでした。またメディアは、事実を最優先するのではなく、スキャンダルな部分だけをピックアップするに違いない。裁判になると時間も奪われる。次のプロジェクトに進もうにも進めないのです。
 そして何より、マイケルはその少年をも守ろうとしたのではという気がしてなりません。その少年が自分の意思でマイケルを陥れようなんて思うはずがない。ただ父親に利用だれただけ。その葛藤での苦しみを与えないようにしたのではという思いも持つのです。
 しかし、マイケルが尊い志と不屈の精神でおこなった『Dangerous』ツアーで、マイケルのSOULにふれた人々は、マイケルの意志に賛同し、そしてこの後もマイケルを支援し続けるのです。この時、アメリカでツアーが行われていれば、マイケル・ジャクソンを生で体感した人はマイケルの無実を感じれたと思います。しかし『BADツアー』を最後に、この後、本国アメリカでマイケルのツアーが行われることはありませんでした。
 ヒール・ザ・ワールド基金の思いはマイケルのライフワークとなります。一時期、多額の負債報道もされますが、実際マイケルが生涯を通して寄付したお金は、負債額以上だったと思います。彼は富や名声を求めて行動した偽善者ではないのです。そこに苦しんでいる子供がいれば自身を犠牲にしてでも行動をおこす人なのです。そんな彼がどうして子供を虐待するというのでしょう。
 
 一時期、マイケル・ジャクソンがツアーに出る事など想定できないような状況にもなりましたが、マイケルは戻ってきます。1996年から再び世界ツアーに出るのです。『History ツアー』です。このツアーは、不本意な形で終わった『Dangerousツアー』のリベンジの意味もあったように思います。舞台の演出は、さらにパワーアップします。その時のツアーコンセプトもヒール・ザ・ワールドのコンセプトに沿うものでした。今回は、子どもの支援だけではなく環境問題へのメッセージ性も強くなります。
 そして、その規模は『Dangerous』ツアー、『BAD』ツアーもうわまわる、
35か国(58公演)450万人動員となり、観客動員数やチケット売り上げの記録をぬりかえていくのです(しかし本国USAはまわらず)。世界は再びマイケルに魅了されるのです。


☆今回の記事で参考にした書籍3冊です

マイケル・ジャクソン全記録 1958-2009
エイドリアン・グラント
ユーメイド


救済 マイケル・ジャクソン 児童性的虐待疑惑(1993年)の真相 (ALL THAT’S MJ)
ジェラルディン・ヒューズ
メディカル パースペクティブス


マイケル・ジャクソン コンプリート・ワークス
ジョセフ・ヴォーゲル
ティー・オーエンタテインメント

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