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◆ ジャーメインとマイケル ❺ Word To The Badd !! - 後編 - 弟マイケルに向けた愛憎Song なぜジャーメインはこの曲を作ったのか!? [ジャーメイン・ジャクソン]

                       ORIGINAL 2010.7.24Upに大幅加筆
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 後編は、より「Word To The Badd」の背景を掘り下げたいと思います。この記事は2010年にUpして好評を得ていましたが、月日は流れ、ジャーメイン自身が自伝で、そして制作したLAリードも書籍やインタビューでこの件についてふれているのです。ただ両者の言ってることが合致していない所はあります。
 前編で取り上げたように、事の発端は、ジャーメインがトッププロデューサーのLA&BABYFACEとアルバム制作の真っ只中で、『DANGEROUS』制作中の弟、マイケルが彼らを呼び寄せたことによります。
 
マイケルは『スリラー』を超えるべく1億枚のセールスを目指し、当時のシーンの最高のサウンドを集結させようとしていました。すでにマイケルは、テディー・ライリーと数曲作っていましたが、さらに当時一番勢いのあったプロデューサーチーム、LA&BABYFACEにも曲の制作を依頼します。

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 そして、そのLAリードとBABYFACEもこの頃La'Face(ラフェイス)レコードを設立し、そのレーベルの第2弾アーティストのビックネームとして待機していたのが他ならぬ兄ジャーメイン・ジャクソンだったのです。まさにジャーメインとアルバムを製作中のときに、マイケルから声がかかるのです。
 

 LA’FACEのProduceスタイルは、最初に曲ありきです。自分たちのプロデューススタイルについてはBabyfaceもインタビューで述べています。とにかく湧き出てくる曲をストックし、依頼のあったアーティストにあったものを選ぶというものでした。
 対照的に、ジャム&ルイスは最初にアーティストとじっくり話し合い、そのパーソナリティをインプットした上で、曲を制作していくスタイル。良し悪しは言えませんが、制作に時間がかからないのはLA’FACEの方でしょう。テディもどちらかといえば曲ありきの方。

 憧れの同郷のスーパースター、マイケル・ジャクソンをイメージして作った曲をBabyfaceはずっとストックしていたかもしれません。

 ジャーメインとアルバム制作中のLAFACEでしたが、マイケルに呼ばれてLAリードとベイビーフェイスはネバーランドに招かれる。その時の模様を、アントニオ"LA"リードの自伝やインタビュー(YOUTUBUにもあり)でふれている。

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 内容を見ると、LAたちはジャーメインには、「マイケルの所へ行く」とはやはり言えなかったみたいだ。そりゃそうだよな。

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 でネバーランドでVIP待遇でもてなしをうける、LAリードとベビーフェイス。真偽のほどはわかりませんが、LAリードはマイケルに対してかなり辛辣な事を言っている。「マイケルはピーターパンと呼ばれるようなものではなく狡猾な人間だった」と。
 その中で、プリンスのネタもあって、ネバーランド内の映画館で、1983年のジェームス・ブラウンのステージとプリンスの映画『Under The Cherry Moon』を見せられたというのです。1983年の今や伝説的なジェームス・ブラウンのステージです。
 会場に2人が来ていると知っていたJBは、アドリブ的に2人をステージに呼ぶのです。ほんと打ち合わせなしのものだったと思われます。照れながらも一旦ステージに上がったマイケルは、華麗なステップとボーカルを即興でキメル。
 そして次にステージに上げられたプリンスも、その場でギターを借り受け即興で弾き、ステージパフォーマンスもキメル。そのプリンスのステージを嘲笑したというのです。今でもネットで上がっていますが、プリンスもさすがのパフォーマンスだと思うのですが・・・(ネタになるんだろうなって思う箇所はわかりますが)

 さらにプリンスの主演映画『Under The Cherry Moon』を見せられたというのです。この作品は、ゴールデンラズベリー賞(アカデミー賞とは対極の最低作品を選ぶもの)で8部門ノミネートされ、最低作品賞から最低監督賞から最低男優賞から5部門を総ナメにした作品。これをマイケルはLAたちに見せて嘲笑したというのです。
 この具体的な内容が信憑性があるかないかなわけですが、LAたちに見せたとしても、他者をこうやってあざ笑うような事をマイケルがするか?って強く思うのですが。
 
 最終的に、契約書をかわしLA&BABYFACEはマイケルと曲を作り上げます。しかしその曲は最終的には『Dangerous』には収録される事はありませんでした。(その曲のタイトルは長年謎でしたが、マイケル死後のアルバム、そしてLAリードその人が指揮をとった『XSCAPE』発表時に「Slave To The Rhythm」と判明します)

 そしてジャーメインです。マイケルとLAFACEたちがレコーディングしたことを隠し通せるわけがありません。この事実を知ったジャーメインは、当然のごとくLAたちに激怒したといます。そしてマイケルに対しても。ジャーメインは、レーベル自体もやめるとまでいったそう。
 客観的に見て、ジャーメインにはまったく非はない。
レーベルに招きジャーメインと契約し、そしてアルバム製作中でありながら、マイケルからお呼びがかかったからといって、「今は行けない」と断らずに、その制作を中断してマイケルのとこへ行くLA’FACEの行動にそもそも問題あると思います。レーベルをかけた最重要アーティストとのアルバム制作なのですから。
 マイケルも、兄貴のアルバムプロデューサーの呼び出しをかけるのはある意味非常識だとは
思いました。そこに、マイケルの余裕のなさみたいなものも感じてしまうのですが。それほど『スリラー』を超えるという野心に取りつかれていたようにも思います。
 ジャーメインにしたら、「おまえはテディとやってるのだからそれでいいじゃないか。LAFACEまで呼び出すとは、それもおれのアルバム製作中に、どういうことだ!」と思ったでしょう。
 
 最終的に、LAFACE側はジャーメインに平謝りだったのではないかと思います。和解した彼らは、レコーディングを再開します。何よりジャーメインはこのアルバムにすごい可能性を感じていたようです。後に『YOU SAID』とというタイトルのアルバムになりますが、このアルバムはジャーメインの私小説的な作品でもありました。「Rebel」というこれまでのジャーメインにないヴァーノン・リード(リヴィング・カラー)もギターで参加したハードエッジな曲では、兄弟がモータウンから離れ一人残ったときの思いをテーマにしています。
 そういう流れで、自身の人生の中で避けて通ることができない弟でありスーパースターであるマイケルのことを歌った曲を収録する事で、アルバムにさらなる深みを出したいという思いももったのかもしれません。ジャーメインはLAたちにこう言ったといいます。
 「マイケルがずっと僕にしてきたことを歌にしたいんだ。僕が君たちみたいなプロデューサーを見つける度に、彼は僕からプロデューサーを奪ってしまう。マイケルは自分以外は気にかけたりしないんだ」と。この辺は、ビル・ボットレルや「Tell Me I'm Not Dreamin」からヒントを得て作り上げた「Smooth Criminal」の事も指しているのかも。
 そしてLAは、個人的には本意ではなかったけどプロデューサーとしてアーティストのやりたい事を尊重したと。
 一方、ジャーメインは、2011年に出版した自伝『You Are Not ALone』でこの時の事を触れている。

You Are Not Alone: Michael Through a Brother's Eyes. Jermaine Jackson

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 ジャーメインの自伝では、自分が積極的に曲を書いたという感じは伝わらなかった。後悔の念は持っているけど。この頃のマイケルは外部とのコンタクトを避けて内に籠もりがちだった。家族とのコンタクトも拒んでいた感じです。マイケルの肌が白くなった「尋常性白斑」の事もこの頃、明確に家族にも伝わっていなかった感じだし。
 そういった事も含め、
ジャーメインはマイケルと直接話をしようとするのですが、とにかくマイケルとコンタクトがとれない状態だったそうなのです。事の発端は、プロデューサー起用でしたが、ジャーメインが怒ったのは、マイケルのこの姿勢だったといいます。話がきちんとできていれば、このような曲を通して自分の思いをマイケルに伝えなくともよかったはず。
 LAリードの自伝だと、「Word To The Badd」はジャーメイン主導で進んだような話だけど、ジャーメインの本では、そんな事は書かれていない。大事なレコーディングを中断してまでマイケルの元に馳せ参じ、曲を制作したのに、その曲は最終的に『Dangerous』には採用されず。それなりの高額な報酬は支払われたと思いますが、LAFACEがマイケルの元に駆けつけたのはお金のためではないように思います。あのマイケル・ジャクソンのアルバムに自分たちの曲が収録されるという名誉が彼らを動かしたと思います。
 自分たちも、過密なスケジュールの中、ジャーメインとのレコーディングを中断してかけつけたなのに、曲が採用されなかったというのは、彼らのプライドも傷ついた事でしょう。ですので彼らにもジャーメインとともにマイケルにメッセージを送る動機は十分にある。
「どっちの言っている事が真実なんだ」となんかモヤモヤした感じはある。LAのインタビューでは、とにかく気持ちのいい作業ではなく今でも後味が悪いと「ゲラゲラ笑いながら」話してるけど。
 この曲に関する紳士・BABYFACEのコメントは一度も見たことがない。実は、ベイビーフェイスが客観的で冷静な視点を持っている気がする。(この後、「On The Line」「Why」という極上曲もマイケルに惜しみなく提供しているし)

 ジャーメインもLAも、ある意味言い訳じみたことは言っていますが、ジャーメインと共同でリリックを書き、曲を作ったのは間違いない事実(この点はマイケルも強く指摘している)。さらにバックボーカルとリリックに後にブレイクするTLCのレフトアイも参加している。
 
ジャーメインのアルバム『You Said』は、91年11月頭に発表されます。

You Said by Jermaine Jackson (2009-11-04)

You Said by Jermaine Jackson (2009-11-04)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Laface Records
  • メディア: CD

 マイケルの『Dangerous』も同月末に発表。こうも同じ時期にぶつけなくてもいいのにと思うのですが。ジャーメインも相当の自信をもって送り出したアルバムだと思います。
 
 これまでもとりあげたように、当時、LA&BABYFACEの勢いは半端じゃなかった。87年からプロデューサーコンビとして活躍する彼らですが、92年までの6年間だけで、ボビー・ブラウン、キャリン・ホワイト、After7、ペブルス、ホイットニー・ヒューストンなど20曲以上のR&B1位獲得曲を生んでいます。POPチャートでもシングル曲がTop10に入らないことがないというほどのすごい確率のヒットメイカーでした。ですからこのコンビが関わったというだけでヒットは約束されたようなものでした。
 
 このアルバムからの1stシングルは「You Said You Said」だったのですが、アルバム発表前にこの「Word To The Badd」がラジオに流れるという事態がさらに事を複雑にします。それは、本来表に出るべきでないマイケルへの辛辣なメッセージのリリックのバージョンでした。
 ジャーメインや、LAたちもこのバージョンが流出した経緯が不明だと言っています。
 でも個人的には、LAFACE、ジャーメインサイドからのリークだったのではないかと思っています。(ジャーメインサイドは盗まれたものであると言っていますが)
 アルバム発売前のタイミングです。絶妙すぎる。

デンジャラス

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  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2018/03/21
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 アルバム『Dangerous』の発表前の先行シングルとして「Black Or White」がラジオで流れまくっている時、一方でジャーメインの「Word To The Badd」が流れるのです。
 「Black Or White」でマイケルは、「肌の色なんて関係ない。黒人だろうと白人だろうと関係ない」と歌っています。そう主張する弟に向けて兄は「君の影は変わってしまった。君の生まれもった肌の色は間違っていたというのか」という歌を返すのです。
 ジャーメインのこの曲はエアープレイチャートで上昇します。ハードエッジな曲で、これまでになかったジャーメインのスタイルが魅力的ではありますが、評価されたのは楽曲自体ではなかったと思います。ジャーメインサイドは、この曲を流すことでジャーメインのNewアルバムを注目させようとしたのではと思ってしまう。
 ジャーメインとLAFACEが全精力をかけて制作した『You Said』でしたが、このゴシップ的な所だけが注目され、この素晴らしい楽曲の詰まったアルバムの本質的なものが隠れてしまったように思います。これが意図されたプロモーションだったとしたら、大失敗だったと思います。
そしてセールスだけではありません、結局はジャーメインも傷つき、それ以上にマイケルは深く傷ついた事でしょう。
 
 兄ジャーメインからマイケルへ向けてのメッセージソング。しかしその内容は、相当厳しいものでした。もちろん愛があるから、弟、マイケルを愛し心配しているからこそ、兄として良い方向に導きたいという思いが根底にあったと思う。そうであってほしい。加えて、電話をかけても出ようとしない弟への憤り、これまでの積もる思いも爆発した感じです。

 そしてマイケルも、この曲をラジオで初めて聞き、やはり大きなショックを受けたようです。あの愛するジャーメインが、自分のことをこんな風に思い、ここまで非難するなんて。マイケルはこのリリックに愛情を感じるのは難しかったでしょう。
 マイケルが修正を求めた中心的な部分をふまえリリックをのせます。核心的な部分は2nd verseです。( 青文字 )が修正後のリリックです。

 ある日 君は作られた
 君の影が変わった (君のやり方が変わった)
 君の肌の色が間違っていたからなのかい (僕に嘘さえ吐くし君が信じられないんだよ)

 戻ることはできないのかい 隠されざる真実なんだ 
 (君が信じられないんだよ まだ愛しているけどね)
 君はあまりにも遠くへ行ってしまった
 (必要以上に心配しているのさ)

 わかるかい 僕は君のためになろうとしている
 君の世話をする兄貴のようにね  (君の世話をする恋人のようにね)
 僕から奪ってきた大切なことについて考えろ
 兄貴から 別の兄貴からも  (恋人から 別の恋人からも)

 信じるのは難しい
 損失 わからないだろうけど 君はまだやっているんだよ
 与える事は受けることより難しい
 ガラスが曇っている きれいにすべきだ

 曇りを拭い取ろう 鏡の前の男 
“Man In The Mirror” から 始めよう
 
Mr Badd 間違っていないかい?
 
(でも鏡に向かいじっと見つめている君がいつもいる)
 
絶えず 見てくれを良くして
間違っていないかい 抑制しろよ)

 君が崩れてしまうのはそんなに遠くないよ

 マイケルが深く傷ついたのは、自分の意志に反して白くなった肌の色を自分で白くしたと非難している点。そして、兄弟たちから大切な事を奪ってきたと言っている点が大きかったと思います。マイケルに向けて「鏡の前の男から変わろう」ってめちゃ皮肉的。
 マイケルが、肌が白くなる病気、尋常性白斑を公に告白したの大分後になってからです。記事を見ると、当時のファミリーでさえこの事実を知らなかったといいます。マイケルは、この出来事で初めてジャーメインにも真実を伝えたのだと思います。いかにこの頃、マイケルとジャーメインが話ができていないかがわかります。
 ジャーメインは、最後にこの言葉で締めています。

 僕は君のことがわかる
 君は僕の居場所を知っている
 悲しい でも真実さ
 僕から君へ
 受話器を取ってくれ
 孤独になっちゃだめだ
 王座から降りて
 みんなのとこに戻っておいで
 

 LAによると、この「Word To The Badd」がRadioで流れている状況下、マイケルから直に電話がかかり、「これ、止めさせてよ。こんなの、よくないよ。君はレーベルの社長なんだからやめさせれるはずだ」と伝えられたそうだ。しかし、LAリードも流出したテープを差し止める事ができなかったみたい。ジャーメインにも意見を聞くと「続行だ」と。この辺もジャーメインの自伝とLAサイドの主張は一致していない。
 ジャーメインはこの時、冷静に情勢が分析できていなかったようにも思います。もしこの弟をディスった(よく言えば諭した)曲が大ヒットしたとしても、後々、このリリックを見直したとき、“行き過ぎた表現だった”と後悔するのではという思いがします。ラジオのオンエアーがストップしても、アルバムには、「無修正・オリジナルバージョン」という形で収録されているし。

 最終的に、ジャーメインの告白を見ると、数年断絶状態だったのは事実のようです。しかし、マイケルとジャーメインは直接会い話をし和解したそうです。しかし、この曲が世に出た事実は消せません。
 ジャーメインは、この曲を発表すべきではなかった。もっと先の展開を読むべきだった。こんな曲、メディアやゴシップネタが好きな人が喜ぶだけにきまってるし、好意的に紹介するはずがない。
 ただジャーメインが、この曲を作った根底はやはりマイケルへの愛だったと思います。「内に籠もるな、孤独になってはだめだ、(われわれ)ファミリーがいるじゃないか」と。しかし、メディアがジャーメインのそんな深いとこを論じるはずがない。弟の才能に嫉妬した兄、白人になろうとしているマイケル・ジャクソンは身内からも非難されているといった感じ。
 
そしてこの曲は、一時的には話題となりますが、ジャーメインの素晴らしいソロアルバムのプロモーションとはならなかった。LA&BABYFACEは、出せばほとんどチャートに上位に送り込んでいたのが、このジャーメインの作品群はその例外中の例外的なものになってしまった。レーベルの秘密兵器として用意していたジャーメインのプロジェクトは大失敗となります。(アルバム『You Said』はR&Bで39位。POPではランクインもしません)LAFACEレコードとしても危機的な状況になったと思います。(しかしこの後。レーベル第4弾アーティストのTLCが大ブレイク。その次は、トニー・ブラクストン。レーベル外で手がけたBoys Ⅱ Menの「End Of The Road」もメガヒットしレーベルの危機を回避します)
 
 マイケルの肌が白くなってしまった事。この出来事がすべての悲劇の始まりだった気がします。そしてそのことに対して、マイケルは沈黙していた。この頃、マイケルが何をコメントしてもメディアはおもしろおかしく取り上げる事しかしなかった。マイケルは、メディアにある意味絶望していたと思います。その絶望感から、沈黙を選択し、それがまた悪い方向に動いた一例がこのジャーメインの曲だったと思います。

 
 ジャーメインとマイケルの関係はけっしネガティブなものではありませんし、こんな感じで2人の関係を論じる事を終わらせたくありません。やはりジャーメインとマイケルは兄弟愛で満たされているのです。次回に続きます。


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