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◆ ジャーメインとマイケル ❸ TORTURE ジャクソンズ『VICTORY』での共演!これこそジャクソンズの魅力!!しかし・・・  [ジャーメイン・ジャクソン]

                     original 2010.6.19Upに修正・加筆
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 1984年は、ジャクソン兄弟の三男・ジャーメインにとって人生2度目の大きなターニングポイントの年だったのではないかと思います。長らく兄弟たちと離れ、モータウンでソロ活動をすることを選んだジャーメインですが、モータウンとの契約は更新せず、1984年、心機一転アリスタレーベルに移籍します。と同時に、モータウンを離れた事によって同義的なわだかまりも解決しジャクソンズに復帰する事となります。正確に言うと、彼が在籍したいたジャクソンファイブ(ジャーメインの中では解散という表現を使っていた)からジャクソンズにグループ名は変わっていたので復帰ではないかもしれませんが。実に8年ぶりの帰還です。
 ジャクソンズは、新作アルバム『Victory』の発売と同時にマネーシャーに復帰した父・ジョーの主導の下、全米ツアーに出ることも発表します。その中にはもちろんジャーメインも加わります。こうして彼はマイケルとブラザーと同じステージにたつことになるのです。ジャーメインが長年望んでいた希望が叶うのです。

Victory

Victory

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sbme Special Mkts.
  • 発売日: 2008/03/01
  • メディア: CD

 そしてこの84年に、ジャーメインは弟マイケルと2曲の共演をはたすことになります。その1曲が前回紹介した「Tell Me I'm Not Dreamin’」。ジャーメインのアリスタでの最初のアルバム『Jermaine Jackson』(『ダイナマイト』)に収録されます。


 そしてもう1曲、マイケルとの共演はジャクソンズの4年ぶりのアルバム『ビクトリー』のからの2ndシングル「Torture」です。ジャクソンズの前作は80年の『トライアンフ』。そしてこの4年間に、ジャクソン兄弟の環境は五男マイケルの『スリラー』の歴史的な成功で劇的に変っています。『スリラー』は82年の12月に発表されますが、84年にはいっても、最終第7弾シングルの「スリラー」とあの伝説のショートフィルムが登場するのです。
 『スリラー』の前と後では、マイケル・ジャクソンは、明らかにこれまで母体であったジャクソンズに対するスタンスが変わっています。エピックソニーでのソロ第一弾『オフ・ザ・ウォール』もR&B男性シンガーとして前人未踏の成功を収めますが、すぐに兄弟と共にジャクソンズのアルバム制作にとりかかります。マイケルも、『オフ・ザ・ウォール』とジャクソンズとしての『トライアンフ』の2作からのベストな編成でツアーにでることを望んでいました。『トライアンフ』には、マイケル自身のソロ作にとっておきたいような質の高い「Heartbreak Hotel」などを惜しみなく提供します。
 しかし『スリラー』の成功後、マイケルは兄弟たちとの活動に消極的になります。ジャクソンズのツアーを含めたプロジェクト名も『ビクトリー』ではなく『ファイナル・カーテン』と提案します。結局、あからさまな終演をタイトルにしたような名称に他のブラザーの反対にあい却下されますが。そんな中で、ジャーメインが復帰する事になります。ジャーメインにとっては、長らく離れていた兄弟と再び活動できるのは喜びだったでしょう。
 
 ジャクソンズの『VICTORY』は、これまでのジャクソンズのアルバムの構成とは大きく異なります。これまでリードボーカルはほぼ全曲マイケル・ジャクソンが担当し、ジャクソンズのアルバムといってもマイケル・ジャクソンのソロ作のような感じもありました。しかし、この『ビクトリー』は、ジャッキー、ティト、マーロン、マイケル、ランディーそれぞれがボーカルと曲を担当しています。そして復帰のジャーメインは、シングルとなった「トーチャー」と全体のバックボーカルを担当して楽曲の提供はありません。

 
 
私の思い出話をすると、マイケル関係の作品をリアルタイムに購入した(当時はLP)のがこの『VICTORY』でした。そこで疑問に思ったのが、かっこいいジャケには6人いるのに、その前のジャクソンズの作品はなんで5人なんだろう?という事。ジャクソンファイブ時代も5人。ジャクソンズ時代も5人。でもこの作品は一人増えて6人いる。なんで???私以外にもこういう?を持った人は多くいると思います。今でこそネットで調べればその理由はすぐにわかりますが、当時はそんなものありません。で本とか読んで、そこにジャーメインの存在がある事がわかるのです。
 ジャクソンファイブ時代は、マイケルとジャーメインのツインボーカルが魅力でした。メインは、マイケルでしたがセカンドボーカリストのジャーメインの存在も大きかった。こうして成熟した大人となった二人のツインボーカルが、アルバムからの2ndシングルとしてきられます。

 この「Torture」を最初聞いたとき、マイケルの匂いがしたのですが、長男ジャッキー作で、プロデュースもジャッキーでした。ドラムはTOTOのジェフ・ポーカロでバックの音はTOTO勢が固められています。R&BというよりAOR風。ジャーメインのスタイルにもあいます。ジャーメインとマイケルのボーカルの共演はエキサイティングです。出だしは、ちょっと低めのソウルでアダルティーなジャーメインから始まり、つづいてマイケルの中性的なボーカル。ボーカルの伸びと高音ボーカルが近年と全然ちがいます。すばらしい。これだけのクオリティーの曲なのに、シーンではHot100で17位。R&Bでも12位とTop10にも入りません。
 
 思うにマイナス要因の一つはMVにも
あったのではないかと思います。「トーチャー」のMV、その出来がひどい!笑えるくらいひどい。まずリードボーカルの、マイケルとジャーメインが参加していないのです。この辺のいきさつはよくわかりませんが、この撮影現場に、マイケルも参加していたようなのですが、兄弟たちと何らかの事で衝突したようです。そして連動してジャーメインも不参加。「弟が出演しないのに、なんでオレだけが出演するんだ」というジャクソンファイブのもう1人のスターであり兄であるジャーメインさんのプライドでしょうか。
 ビデオはホラー風なTasteで、大規模なセットを作って、けっこうお金はかかってる感じはします。

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 参加していない主役の二人に代わって、マーロン、ランディー、そしてティトもギター片手に張り切ってます!ジャッキーは出てるけど、あまり激しい動きはない。(怪我の影響とか?)
全員が揃うのは加工映像の骸骨と、参加していないマイケルに代わって、なんちゃってマイケルのような人形での勢揃い。で6人でなく、5人という。

 
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 MVは曲をヒットさせるために制作されるものですが、正直な所、このMVは作ってしまったことでマイナスに働いてしまった気がする・・・視聴者も、なんか空回り気味のこのMVにジャクソンズの一致団結した熱意みたいなものを感じなかったのかもしれない。
 実際にトラブルがあったとかその辺の真偽は不明ですが、そもそも最初からマイケルはビジュアル面で露出することを嫌い、ビデオに参加する意志がなかったのかもしれません。兄弟や両親のためにツアーには出るから、それ以上の事はもうしないよと。マイケルのそのスタンスを感じ、もう一方でリードをとるジャーメインがビデオに出ることで、映像的なバランスもどうつけるんだとジャーメインも思ったのかもしれません。
 ジャーメインとマイケルが登場していたらMVのイメージはまったく変わったと思います。そもそもマイケルが出演を決めたら、この設定と映像を変え、もっと魅力的な作品にしたと思いますが。ほんの少しのショットでも良かったのにと思います。
 

 私もよく触れていますが、ジャクソン兄弟はそれぞれ才能があると思います。ただマイケルの存在が大きすぎて、他の兄弟の光を消しているように思うのです。『スリラー』の後のマイケルが関わったアルバムですから、世界が注目します。そして多くのリスナーが求めていたのは、ジャクソンズではなくマイケルだったのです。
 それは、当初私もまさにその一人だったからよくわかるのです。なんでマイケルのリード曲が3曲だけなの?ってガッカリ。この「トーチャー」や先行シングル、ミック・ジャガーの「State Of Shock」の完成度の高さを目の辺りにするともっとマイケルの曲を聞きたい!という欲求が高まります。しかし、マイケルは3曲のみの参加です。それも唯一のソロ曲もバラードで、いかにもマイケル的な曲は収録されていないのです。
 
 『スリラー』の成功後、ソロ活動と兄弟との活動の差別化がマイケル自身も難しいと感じたのではないでしょうか。それはリスナーも一緒、サウンドプロデューサーがちがっても、一度、マイケルが歌い踊れば、そこはマイケルワールドなのです。入り込んでいかないとジャクソンズのマイケルとソロのマイケルの区別はつかないと思います。ソロ活動とジャクソンズとしての活動を両立するのは困難だったと思います。時間があまりにも足りない。そして、もうジャクソンズから離れる時期が来たと思うのは当然の流れのように思います。

 一方、兄弟としては、ソロで歴史的なヒットをおさめても、マイケルは兄弟の一人。ジャクソンファイブ時代から、兄弟の中の5分の1の存在。あくまでもマイケルは、リードボーカルを担当していたという認識が強かったのだと思います。ソロで成功しても、ジャクソンファミリーの活動の原点はジャクソンズにある。『ビクトリー』のタイトルも見たらそのことがよくわかると思います。実際、勝利したのはマイケル・ジャクソンです。しかし、ブラザーは、ジャクソン兄弟の勝利としてとらえている感じ。そこに、シーン、マイケルと兄弟たちの認識に相当のズレもあったように思います。

 マイケル・ジャクソンが、『ビクトリー』に参加したのは、「恩返し」だったと彼自身も述べています。ジャーメインがもどって、自分が離れるというのも変な話ですが。
 この「トーチャー」はほんとエキサイティングな曲なのですが、メガヒットしていないのが不思議です。そして今となっては、84年の「Tell Me I’m Not Dreamin」と「Torture」がマイケルとジャーメインの兄弟でありながら、遠い距離だった2人の夢のような共演曲なのです。

 こうして6人編成のジャクソンズとなりますが、次作89年の『2300Jackson Street』は、マイケルが不参加、さらに4男・マーロンまでも脱退。4人編成になります。

2300 Jackson Street

2300 Jackson Street

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Australia
  • 発売日: 2009/09/04
  • メディア: CD

 この時、このアルバムに外部プロデューサーとして招かれたのが時のプロデューサー、Teddy RileyとLA&BABYFACEだったのです。そしてここでLA&BABYFACEとジャーメインが出会い、91年にジャーメインが、LA&BABYFACEが設立したLA’FACEレーベルからソロアルバムを発表する伏線となります。そこで弟・マイケルに向けたメッセージソング問題作「Word To The  Badd」が発表されます。しかしジャーメインがLA'FACEとこの曲を作ったのはそれなりの理由があったのです。 (つづく)


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