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◆ Gone Too Soon / Michael Jackson (93) マイケル・ジャクソン 幼くして亡くなった少年に捧げた曲 [楽曲レビュー(マイケル)]

                                                                                                            original2010.12.27Up
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 「Gone Too Soon」は91年11月に発売された『Dangerous』から最後のシングルとして欧州できられます。アルバムから9枚目のシングルカットとなります。英国で、33位でチャートインしています。 
 91年にアルバム『Dangerous』が発表され、先行シングル「Black Or White」からのシングルカットが始まりますが、この「Gone Too Soon」は『Dangerous』のシングル戦略とは別の意図でのシングル作品だと思います。
 「Gone Too Soon」が発売されたのは、93年12月1日。世界AIDSデイの12月1日にあわせてのようです。この曲は13歳の時、血友病の輸血でエイズ(HIV感染)になったライアン・ホワイト少年に捧げられた曲でした。

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 まだ当時は、AIDSについての正しい情報が世に伝わっておらず、偏見の対象でした。それこそ、その人に触れたたけで感染するとか。そんな中、ライアン少年は偏見と差別にされされながらも、まっすぐに生きていきます。
 そのライアンが、自分のファンという事を知ったマイケルが、本当に彼のもとを訪れ交流が始まります。このライアン少年は、望むと望まないとに関わらず、AIDSを正しく伝えるためのスポークスマンとしての役を担うようになり、命をかけて広報活動を続けました。そんな彼をマイケル・ジャクソンをはじめエルトン・ジョン等も支援しています。マイケル・ジャクソンは一人の少年のために、時間を割いて彼との時間を共有します。  
 
 マイケルが、少年や子供たちを支援する活動をしたのはこの時が初めてではありません。ツアーで世界のあちこちを周りますが、その訪れた地で可能な限り病院や孤児院を訪れ子供たちとふれあい寄付も行った。日本でも、来日時におきた5歳の子供が惨殺された悲惨な事件に対して、心からの哀悼の意を表した。その場その場の思いつきの行動ではないのです。マイケルの行動はぶれることなく一貫していた。偽善という人もいるかもしれませんが、偽善でここまでできる人はいないと思う。『Dangerous』発表と同時に展開された「ヒール・ザ・ワールド基金」にもエイズ治療に対する基金も含まれていた。
 そんなライアン少年も90年に18歳で短い命を閉じます。ライターはマイケルではありませんが、はかなく美しい曲をマイケルが歌います。マイケル・ジャクソンがここまで一人の少年に強い思いをもったのは、彼に対する差別と無知からくる偏見に自分を重ねた部分もあったかもしれません。

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 95年に公開された『My Friend Forever』というHIVに感染した少年との友情を描いたかなりの感動作がありますが、このマイケルとライアンの友情が重なります。
 ライアンが亡くなって3年後、まだマイケル・ジャクソンは彼の事を忘れていませんでした。クリントン大統領の就任式典に招かれたマイケルは、その場でライアンの事を言及し政権にエイズ撲滅に向けての支援を訴えます。そしてクリントン政権もそれに応えます。
 ダイアナ妃の2枚組みの追悼アルバムも発売されましたが、マイケル・ジャクソンはこの曲を提供しています。そして、マイケル自身も逝ってしまった。あまりにも早く・・・
 しかし、このシングルはライアン少年とともに生き続ける様にも思います。

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