◆ Missing You ☆ マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロス ☆ [マイケルへの想い]
オリジナル2014.12.17Up
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ダイアナ・ロス、今の世代にとっては昔の名前っぽいけど、今で置き換えるならビヨンセのような存在なのかな。いや当時はそれ以上のスターでしょう。
ソロとしては6曲のNo1ヒット曲をもち、所属したスプーリムス時代には12曲のNo1ヒットを生む。あわせると18曲で、ビートルズの20曲についで歴代2位(マライア・キャリー、エルヴィス・プレスリーも同じく)です。ただダイアナはノミネートはされるもののグラミーとは縁がない。
黒人女性として、まだ人種差別も根強く残る時代から、歌手だけではなく女優としてもエンターテイメントの最前線で道を切り開き活躍してきた。
ソロとしての全盛期は70年代だと思うけど、60年代はスプリームスの一員として頂点を極めた。80年代、90年代も良質のアルバムを発表し続けた。
今回、古巣のモータウンからRCAへ移籍後のソロ作が貴重なExtended版を収録して再発もされました。その中には、マイケル・ジャクソンが制作したTrackもあり、貴重なものも収録されています。(後半紹介)
ソロとしては6曲のNo1ヒット曲をもち、所属したスプーリムス時代には12曲のNo1ヒットを生む。あわせると18曲で、ビートルズの20曲についで歴代2位(マライア・キャリー、エルヴィス・プレスリーも同じく)です。ただダイアナはノミネートはされるもののグラミーとは縁がない。
黒人女性として、まだ人種差別も根強く残る時代から、歌手だけではなく女優としてもエンターテイメントの最前線で道を切り開き活躍してきた。
ソロとしての全盛期は70年代だと思うけど、60年代はスプリームスの一員として頂点を極めた。80年代、90年代も良質のアルバムを発表し続けた。
今回、古巣のモータウンからRCAへ移籍後のソロ作が貴重なExtended版を収録して再発もされました。その中には、マイケル・ジャクソンが制作したTrackもあり、貴重なものも収録されています。(後半紹介)
そう、マイケルとダイアナ。
これは驚異的な実績です。英国のビートルズに対抗していた唯一の米国アーティストがこの黒人女性グループのスプリームスだったというのもすごい。そして彼女らのヒットによりベリー・ゴーディー率いるモータウン帝国の礎が築かれた感じ。そしてそのモータウンからデビューするのがマイケル・ジャクソン達のジャクソン・ファイブなわけです。
嫉妬と欲望が渦巻いたグループでもあり、その辺はビヨンセがダイアナを演じた『ドリーム・ガールズ』でも描かれている。
ダイアナが脱退したあとも、グループは存続しますがヒット曲には恵まれず、メンバー交代も続き自然消滅したような感じです。
ダイアナは、スプリームスを心から愛し、自分を犠牲にして全てを捧げてきたと言います。信じられないような成功を収めるスプリームスですが、ダイアナと他の2人のメンバーとの軋轢は相当なものがあったようです。スプリームスのヒットはダイアナによるものが大きいでしょうが、ダイアナ一人の成功のように周囲が捉え、他の2人はお飾りのように扱われた事が大きな要因だったようです。ダイアナはスプリームスでの活動を続けたくとも修復不可能なレベルまでにいっていたようです。
そしてそこにビリー・ホリデーの伝記映画を制作するという話がダイアナの元に舞いこみ、これをきっかけに26歳のダイアナは、スプリームスから離れる決意をします。
ダイアナはアーティストとしてもすばらしいですが、この『ビリーホリデイ物語』の演技はすばらしく、オスカーの主演女優賞にノミネートされるという栄誉を得ます。当時、黒人の女性がアカデミー賞にノミネートされるって相当すごいことだと思います。
ソロとなったダイアナは6曲のNo1ヒットをうみます。
個人的には、CHICのナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズがProduceした『DIANA』が好き。
「Upside Down」と「I'm Coming Out」はダイアナの新たな魅力を開拓した。
さてダイアナのdiscographyの概略はこの位にして、マイケルとの関わりに焦点をしぼりたいと思います。69年にデビューするジャクソン・ファイブですが、ジャクソンファイブのデビューアルバムの原題は、『Diana Ross Presents The Jackson 5』です。
そしてジャクソンファイブの全米全国ネット放送でのデビューがダイアナ・ロスが司会進行する番組でした。それはスプリームスからの独立記念番組でもありました。その中でダイアナが、高らかにマイケル達希望の5人組の黒人グループの紹介をします。当時のダイアナは24歳。マイケルは10歳です(デビュー時は8歳としていた)。
マイケルは、その後もモータウン25周年記念番組で「ビリージーン」の衝撃パフォーマンスを見せますが、このジャクソンファイブのデビュー曲「I Want You Back(帰ってほしいの)のパフォーマンスは当時相当な衝撃(ファーストインパクト)を与えたように思います。
ジャクソンファイブのデビューの時期と同じくして、モータウンもデトロイトからハリウッドのあるセレブの都市・ロサンゼルスに本社を移転させていました。
そんな中、ジャクソンファミリーの新居が落ち着くまで、ジャクソン兄弟が居候したのがビバリーヒルズのベリー・ゴーディーの豪邸と同じ通りにあったダイアナの居宅(→これも豪邸)だったのです。上の兄3人がベリーの所で、マーロンとマイケルがダイアナの所だったようです。(そしてダイアナもベリーの所に通っていたという)
ダイアナ自身、アーティストでありますが、この業界について知ることをとても重要視していた。人任せでなく、ビジネス面にも注意を払わなければいけないという事を。彼女がトップアーティストとなったのは、才能はもちろんだけど、成功するために自分が何をすべきかをしっかりと見極め、実践していったところを感じる。
その事も含め、マイケルのとてつもない才能を見抜いていたダイアナは、歌だけではなく、幅広い視点を持ちいろいろなものを吸収していく大切さを10歳のマイケルに説いた。
そしてマイケルもその重要性を10歳にして理解した。マイケルが母キャサリンの死後の事を想定して、ダイアナを次の後見人に指名したのも、信頼できる人であることはもちろんだけど、子供たちがマイケルと同じようにショウビズ世界に進んだとき、この業界ついて知り尽くしているダイアナほど頼りになる存在はいないとも思っていたのかもしれない。
当時のマイケルたちは、いわゆる田舎から出てきた業界の礼儀も作法もしらない少年たち。一方のダイアナロスは、当時の間違いなくNo1のスーパースター。マイケルたちもこんなスターと一緒に暮らすなんてと相当驚いたようですが、マイケルもマーロンもこの時の生活は今でもとてもすばらしいものとして記憶に残っていたようです。
10歳のやんちゃ盛りのマイケルとマーロン。ダイアナに勧められて絵画等もしたみたいで、子供のすること、最後は喧嘩や遊びになって相当豪華であろうダイアナの家の絨毯を絵の具で汚したらしいですが、ダイアナは、「あなた達、この絨毯いくらすると思ってるの!」等ときっと怒ることなく優しく接したのだろうと想像する。
マイケルとダイアナが公式に共演したのは、78年に公開されたブロードウェイミュージカルのヒット作『ウィズ』(The WIZ)でした。
この作品は、『オズの魔法使い』の黒人バージョンのようなもので、モータウンのベリー・ゴーディーの主導で動いたビックプロジェクトでした。
ベリーがダイアナのためにこの作品の版権を買い、ダイアナのための作品を作ろうとした。当時としては最高額の2,400万ドル(当時のレートで48億くらいか。そして当時の48億ですから相当な金額っぽい)をかける。
このビックプロジェクトの音楽面での指揮をとったのがクインシー・ジョーンズでした。ミュージシャンが300人、コーラスが150人、オーケストラが9つという規模で、クインシーほどの人もこれほどのビックプロジェクトは初めてだったと述べています。
もともと児童文学で、少女を主役にした作品を、当時34歳のダイアナが、24歳の教師役という設定変更で作りあげたことで歪が生まれ、興業的には大失敗映画となったようで、この時の負債は、モータウンにも重くのしかかったように思います。
ダイアナ的には、守られていた世界から突然見知らぬ異世界に迷い込み、苦難を仲間たちと乗り越えて自分自身を見つめ直し自分を取り戻すドロシーと当時の自分の境遇がシンクロした。
映画の中でドロシーが困難を乗り越えていくように、ダイアナもこの映画を通して、離婚の傷を癒し、ベリー・ゴーディーへの依存(ダイアナとゴーディーは愛人の一言ではくくれない特別な関係だった)をやめ、自分自身を見つめ直し新たな世界へと旅立つきっかけを作ったようです。
マイケル・ジャクソンがかかし役で検討されていると聞いたとき、ダイアナはとても興奮したといいます。DANCEも要求されるかかし役に歌って踊れるマイケルほど適任の人はいないと。
マイケルが演じたかかしは、マイケルのようにピュアなキャラだった。吊るされた状態で身動きがとれずカラス達にバカにされるけど、この場所から解放されて自由に動き「いろいろな事を知りたい」という純粋な欲求を持っていた。脳みそがなくバカにされるカカシだけど知識への欲求は並外れていた。
マイケルもこのかかし役に自分を重ねた感じがする。バカにされながらも必死に勉強し知識を得自分を成長させようと努力する。マイケルは心からこの役を演じれることを喜んだといいます。そして、カラスを追い払い吊るされていたかかしを助けて解放するのがダイアナ演じるドロシーです。
今あらためてこのシーンを見ると胸を打たれます。この純真なカカシはマイケルそのもののように感じます。
マイケルの演技は素晴らしい。十字架の貼り付けのような状態のカカシ役のマイケル。カラスたちは、非難中傷するメディアと重なる。そしてダイアナがマイケルを救い出す。
解放されたカカシは、まだしっかりと歩くことができずヨロヨロし、倒れこむ。それを何度も抱き起こすダイアナ。あらためてこのシーンを見ると涙がこぼれた。
たちあがったカカシは、ドロシーが探す道を見つけ、そこを二人が華麗なステップとダーンで歩みだす。
ここでマイケルとダイアナは「Ease on Down the Road」という曲をDUOします。純粋にマイケルとダイアナがDUOしている曲はこの曲だけだと思います。
そして、この役にマイケルを選んだのも他ならぬベリー・ゴーディーだったようです。モータウンから喧嘩別れのような形で移籍していったジャクソンファミリー一員のマイケル。しかしベリーもダイアナと同様、マイケルが適任だと思ったに違いない。
作品は素晴らしい。一流の製作陣が集い、予算もかけた。クオリティーは相当なものだと思いますが、ダイアナに重点を置きすぎ失敗した感がある。
興業的には制作費の半分も回収できない大赤字作品だった模様。
しかし、この作品により、ダイアナの内なる開放と、マイケルの作品に対する真摯な姿勢に感心したクインシーが、マイケルのソロ作のプロデューサーを買って出るというきっかけを作りことになります。
マイケルは、そのクインシーと制作した『オフ・ザ・ウォール』が大ヒット。そして『スリラー』で頂点を極める事となる。
80年代に入ると、ダイアナとマイケルのポジションは逆転する感じ。年齢によるものもあるから時代は若き者へと移っていくのは仕方ないことではあるけど。
81年のダイアナのLIVEにステージに上がってくるように言われ終盤マイケルが登場するこの映像。
Diana Ross _ Michael Jackson- UPSIDE DOWN- 1981-FORUM-L.A.
https://youtu.be/9Qa1pDqNjwQ
ナイルとバーナードが手がけた「アップサイドダウン」、CHICのグルーブとマイケルのグルーブが融合するのも超エキサイティング!!マイケルはアドリブで踊り歌いますが、一気にマイケルワールドになります。そして横で踊るダイアナ。なんて素晴らしいパフォーマンスなんだろう。今でもこの映像を見るとマイケルが眩しすぎて涙が出る。
80年代に入り、モータウンから離れソロ活動を開始したダイアナにマイケルが力を貸します。マイケルは、ボーカリスト、ダンサーだけではなくソングライター、プロデューサーとしての才能も発揮し始めます。
82年に「マッスルズ」という曲を提供する(『シルク。エレクトリック』収録。プロデュースもマイケル)
スローな曲だけど、マイケルに匂いを感じる1曲。シンプルなバックトラックとフィンガークラップがCool。このクラップとマイケルのバックボーカルは、LIVEでの「The Way You Make Me Feel」イントロのTasteそのもの。ダイアナのシルキーVOICEも魅力的。HOT100で10位。今回、これまでレアだったEXTENDED(6:38)も収録されています。これまたCOOLです。
85年のビックなチャリティープロジェクト「We Are The World」では、マイケルからダイアナがボーカルを引き継ぎそしてデュオ。息が合った二人のボーカルは素晴らしい。
この時の模様はメイキングビデオでも見れる。
30周年記念盤のボーナス映像では、マイケルのソロパートが満載。使用されなかったけど、スティーヴィー・ワンダーとダイアナのDUOというか天才的なボーカルの掛け合いも見れる。このパート、本編にも入れて欲しかったな~。
そして85年の「Eaten ALive」。アルバム自体は、ビージーズが全面制作。ギブ兄弟のファルセットボーカルの質感とダイアナのボーカルの相性は抜群。一般的にはそんなに売れていないし評価も高くないけど、ダイアナのハイトーンボーカルがすごく魅力的でダイアナ作品としても名盤だと思っているおれ。
タイトル曲にマイケルも参加します。
70年代に頂点にたったビージーズと80年代に頂点にたったマイケルとのある意味夢の共演。しかしマイケルが絡むとビージー色は薄れ一気にマイケルワールドが展開される。
ダイアナの曲ではありますが、マイケル色全開のエッジの効いた曲。この頃のマイケルのボーカルは最高級なので、そこだけでも一聴の価値アリ。
当時、マイケルの新曲をめちゃくちゃ欲しており、マイケルがめちゃかっこよくバックボーカルで絡んだこの強力シングルは大ヒット間違いなしと思いましたが、HOT100-77位(R&B-10位)のヒットに留まります。マイケルの力をしてもダイアナにNo1シングルをもたらすことはできませんでした。
今回、12inchレコードに収録されていたバージョンがすべてデジタル化。Editバージョンは、ギターがかなり効いててエッジ感が増す。インストバージョンも、単純なインストではなく、マイケルの息遣いやボーカル部分がフューチャーされてて超かっこいい。これだけでも買いです!
さらにこのアルバムからのヒットシングルとなったスプリームスの匂いも感じる「Chain Reaction」(英国で1位を獲得)の貴重なRemixも収録されています(これも欲しかったんだ~)。
87年『BAD』に収録されNo1シングルにもなった「Dirty Diana」が話題を呼びます。あえてダイアナ風の女性もビデオに登場させるという。
以前「ダーティー・ダイアナ」の記事をUpした時、単なるネタ的要素が強いと記しましたが、今回あらためていろいろな記事にふれて、ちょっと見解が変わってきました。
ダイアナは、ロバート・シルバースタインという白人男性と71年に結婚している(同じ黒人男性ではなく白人男性というところに彼女のスタンスを少し感じてしまう)。出会いは、たまたま入った紳士服店。双方惹かれあいその場で電話交換をしたというから驚き。彼は学校の先生だったそうだが、その後業界に転職しダイアナのマネージャーとなる。その彼とは77年に離婚している。
その間に三人の娘が産まれるが、驚きべきは最初の子ロンダは、シルヴァースタインの娘ではなく、前述のベリー・ゴーディーとの子だった。しかし彼はそれを承知の上でダイアナと結婚したようだ。しかし、ベリーの影は絶えずダイアナにつきまとっていたようで、それが大きく影響し離婚することになる。
ダイアナが離婚したとき、ダイアナは33歳。その時、マイケルはまだ19歳。まだリアルに結婚を意識する年齢ではないでしょう。ただダイアナは憧れの年上の女性だったと思う。
ダイアナの最初の結婚の時、マイケルは祝福している。そして「彼女には幸福になって欲しかったですが、少しは傷つき、嫉妬したことは認めなければいけませんね。だって、僕はずっとダイアナのことを愛していたわけですし、これからもずっと愛していくでしょうから」と素直な気持ちを綴っている。
しかし、マイケルも男性として成熟していく過程で、リアルにダイアナとの結婚を望みだした部分もあったのではないかと感じる。しかし、ダイアナはそれはマイケルにとってプラスではないと思ったのではないだろうか。
ダイアナが最初に結婚したのは、ある意味ベリー・ゴーディーからの支配から抜け出すためだった要素もあるかもしれない。離婚後、恋多きダイアナではありましたが、再婚は考えていなかったようです。
しかし、ツアーを終え休息場所として滞在していたバハマで、ノルウェーの船舶王アルネ・ネス(大富豪)と運命的でRomanticな出会いをし恋に落ちたようです。そして86年にダイアナは再婚します。
マイケルは、ダイアナの再婚はないと思っていたろうし(多分、彼女もマイケルにそう言っていたのでは)、再婚するなら自分だと思っていたのかもしれません。ピュアなマイケルにとって、ダイアナのこの行為は裏切りのように思えたのかもしれません。
その思いが「ダーティー・ダイアナ」として生み出された部分はあったかもしれません。ただリアルにダイアナを中傷する意図はなかったと思います。でも悔しい思いをぶつけたかったという。ダイアナも大人の女性としてそれを受け止めた印象ももちます。マイケルに再婚はないといっておきながら再婚したことに申し訳なさも感じたかもしれません。
そして、92年に『Dangerous』からの2ndシングルとして発表された「Remember The Time」の欧州版シングルのクレジットの中に、“Didicated with Love to Diann Ross”(ダイアナロスに捧ぐ、愛を込めて)という記載があります。
『Michael Jackson For The Record』にもダイアナ・ロスに捧げられたセカンドシングルという記載がある。その観点でこの曲のリリックを見るとけっこう納得する。
覚えているかい 僕らが恋に落ちた日のことを
覚えているかい あの秋の日 僕らは一日中一緒だった
覚えているかい どんな話をしたか 世が明けるまでずっと電話をしていた
覚えているかい あの特別な時間を 僕の心の中では 何度も何度も繰り返されている
あの素敵な思い出は 僕の大切な宝
何を言ったかは問題じゃない 2人だけの体験を僕は忘れない
覚えているかい あの公園 あの海辺
君と僕とで行ったスペイン
覚えているかい
僕は・・・僕は・・・
この「Remember The Time」について兄・ジャーメインの自叙伝でも触れられていて、ジャーメインも直接マイケルからダイアナへの思いを聞いた感じ。
「彼らがどれほど親密になったかについては、ほとんど常に、半自叙伝的であった彼の音楽が代弁しています。1992年にリリースされた「Remember The Time」の切ない歌詞を聴いてください。その歌は、マイケルが私に話したように、ダイアナ・ロスを念頭に置き、書かれたものでした。彼にとっては、彼から逃れた1つの大きな愛でした」と。
(Shanti&AnandaさんのBlogより引用 http://jaxon22.blog135.fc2.com/blog-entry-787.html)
この曲のショートフィルムもその視点で見ると妙に納得する。女王役のイマンがダイアナ。まさにモータウンの女王。そしてキングのエディー・マーフィー役が、モータウンの王・ベリー・ゴーディ。そして女王とマイケルは密会し(すでに2人は深い中で再会したともとれる)口づけをかわす。イマンは、ベリーの義理の息子でもある兄・ジャーメインが「恋にふるえて」で共演し、これまた熱いラブシーンを演じた相手。そこもかなり因縁。
Remember The Timeは間違いなくダイアナへの思いを綴っている。
90年代に入り、さらなる成功を手にしていくと同時にマイケルはどんどん孤独になっていった思いを持ちます。
マイケルを愛するファミリーや心配する人は多くいても、実際に傍にいれた人はいなかった。ダイアナにしても家族がいる。他のブラザーやファミリーしてもそう。リサ・マリーやデビー・ロウと結婚するもそこに本当の愛はあったのだろうか。
ただ誕生した子供たちは、マイケルの希望になったのは間違いない。
95年に出版されたダイアナの自叙伝でダイアナはマイケルのことをこう評している。
「いつも正当なものの見方をし、優しくて思いやりのある人で、他人の、特に子供たちの力になってあげることで世界に変化をもたらそうとする人間だと」。
マイケルの芸術性と自身を重ねてもいる。マイケルとダイアナはとても似ている気がする。
そして「最近は会う時間があまりなくて、彼をもっと知ることができない。成功するということは人と人とを遠ざける。しかし、一緒にいようが離れていようが、彼を大事に思う気持ちには変わりない。一時近しい間柄でいたこと、彼が私を好きでいてくれることはうれしい。彼を愛しく想う気持ちは貴重だし、私たちの友情はこれからも大切なものであり続けるだろう」と結んでいる。
96年にモナコで行われたワールド・ミュージック・アワードでダイアナがパフォーマンスをした際、最前列に座るマイケルに、No1ヒット、エイント・ノー・マウンテンのイントロに重ねて「私が必要ならいつでも呼んで」と冗談ぽく言い、マイケルも顔を覆って照れていますが、あれはダイアナからマイケルへのメッセージにも思えた。いつでも助けになると。マイケルの事をダイアナも相当気にかけていたと思うのだけど、お互いの置かれている状況が2人の距離を縮めることができなかった気がする。
そしてマイケルは逝ってしまった。
マイケルとダイアナは、恋人や夫婦や親子そんな一言ではくくれない強い絆で結ばれていたと思う。肉体関係がどうのこうのなんて下世話な話はどうでもいい。自分の一部と言ったダイアナの言葉が象徴的。
そしてマイケルは最後までダイアナを愛していたのだと思う。
マイケルがダイアナを後見人に指名したのは、最後まで貴方を愛しているというメッセージにも思えてきた。
そのダイアナが来日する。マイケルへの思いを語ってくれるのだろうか。
ああ、やっぱりMissing 、マイケル。
マイケルは遺言にて、子供たちの後見人を母・キャサリンに託しましたが、キャサリンの死後は、ダイアナにそれを託しています。身内でもないダイアナに自身の希望である子を託すのですから、いかにマイケルがダイアナを信頼しているかがわかります。
(今回のダイアナの公演でも、彼女は、マイケルへの想いを口にするはず。←直接はなかった)
自身のヒット曲、亡きマーヴィン・ゲイに捧げたMissing You (ライオネル・リッチー作)をマイケルと日本のファンのために歌ってくれるのではないでしょうか。(←そんなしんみりした感じで偲ぶのではなく、映画『ウィズ』でマイケルと共演したUpテンポの明るい曲「Ease On Down The Road」をセレクトした。ダイアナらしい)
マイケルより15歳年上のダイアナですが、マイケルは自伝『Moon Walk』の中で「僕は今でも彼女のことを愛しています。本当に彼女に夢中なのです。彼女は僕の母であり、恋人であり、そして姉であり、そうしたすべてが一緒になった驚くべき人だったのです」という事まで言っています。
これって男性にとっては理想の女性だと思うのですが。こんなすべてが一緒になった女性なんてそういるものではありません。
マイケルの訃報に際し、ダイアナは「想像することもできずにいます。涙が止まりません。あまりにも突然でひどくショックを受けています」とコメントを発している。
マイケルの葬儀にダイアナは参列せずダイアナのコメントをスモーキー・ロビンソンが代弁しました。
「気持ちの整理がつきません。私はそこに行かれませんが私の心はそこにあるという事をご理解ください。私は静かに気持ちを落ち着かせて過ごすことを選びました。それが私には最善の選択だと思えたからです。マイケルは私の個人的な恋人で、私の世界の大切な一部で、言葉で言い表せないほどの存在でした」と。
参列しないことを選んだダイアナに逆にとても深いものを感じます。もしかしたら彼女は取り乱し平静を保つ自信がなかったのかもしれません。
今回マイケルが絡んだ作品を含めダイアナとの関係を振り返ってみたいと思います。まず、あらためてダイアナ・ロスのヒット曲を振り返ります。
ダイアナ・ロス、最初は、ソロではなく3人組のボーカルグループ“スプリームス”(最近、シュープリームスって言わないみたい)の一員として61年にモータウンよりデビュー。
ダイアナが脱退する69年までにビルボードで12曲のNo1ヒットを生み出します。多分スプリームスと知らなくとも耳にした曲は多いと思う。
(今回のダイアナの公演でも、彼女は、マイケルへの想いを口にするはず。←直接はなかった)
自身のヒット曲、亡きマーヴィン・ゲイに捧げたMissing You (ライオネル・リッチー作)をマイケルと日本のファンのために歌ってくれるのではないでしょうか。(←そんなしんみりした感じで偲ぶのではなく、映画『ウィズ』でマイケルと共演したUpテンポの明るい曲「Ease On Down The Road」をセレクトした。ダイアナらしい)
マイケルより15歳年上のダイアナですが、マイケルは自伝『Moon Walk』の中で「僕は今でも彼女のことを愛しています。本当に彼女に夢中なのです。彼女は僕の母であり、恋人であり、そして姉であり、そうしたすべてが一緒になった驚くべき人だったのです」という事まで言っています。
これって男性にとっては理想の女性だと思うのですが。こんなすべてが一緒になった女性なんてそういるものではありません。
マイケルの訃報に際し、ダイアナは「想像することもできずにいます。涙が止まりません。あまりにも突然でひどくショックを受けています」とコメントを発している。
マイケルの葬儀にダイアナは参列せずダイアナのコメントをスモーキー・ロビンソンが代弁しました。
「気持ちの整理がつきません。私はそこに行かれませんが私の心はそこにあるという事をご理解ください。私は静かに気持ちを落ち着かせて過ごすことを選びました。それが私には最善の選択だと思えたからです。マイケルは私の個人的な恋人で、私の世界の大切な一部で、言葉で言い表せないほどの存在でした」と。
参列しないことを選んだダイアナに逆にとても深いものを感じます。もしかしたら彼女は取り乱し平静を保つ自信がなかったのかもしれません。
今回マイケルが絡んだ作品を含めダイアナとの関係を振り返ってみたいと思います。まず、あらためてダイアナ・ロスのヒット曲を振り返ります。
ダイアナ・ロス、最初は、ソロではなく3人組のボーカルグループ“スプリームス”(最近、シュープリームスって言わないみたい)の一員として61年にモータウンよりデビュー。
ダイアナが脱退する69年までにビルボードで12曲のNo1ヒットを生み出します。多分スプリームスと知らなくとも耳にした曲は多いと思う。
これは驚異的な実績です。英国のビートルズに対抗していた唯一の米国アーティストがこの黒人女性グループのスプリームスだったというのもすごい。そして彼女らのヒットによりベリー・ゴーディー率いるモータウン帝国の礎が築かれた感じ。そしてそのモータウンからデビューするのがマイケル・ジャクソン達のジャクソン・ファイブなわけです。
嫉妬と欲望が渦巻いたグループでもあり、その辺はビヨンセがダイアナを演じた『ドリーム・ガールズ』でも描かれている。
ドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
- 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
- メディア: DVD
ダイアナが脱退したあとも、グループは存続しますがヒット曲には恵まれず、メンバー交代も続き自然消滅したような感じです。
ダイアナは、スプリームスを心から愛し、自分を犠牲にして全てを捧げてきたと言います。信じられないような成功を収めるスプリームスですが、ダイアナと他の2人のメンバーとの軋轢は相当なものがあったようです。スプリームスのヒットはダイアナによるものが大きいでしょうが、ダイアナ一人の成功のように周囲が捉え、他の2人はお飾りのように扱われた事が大きな要因だったようです。ダイアナはスプリームスでの活動を続けたくとも修復不可能なレベルまでにいっていたようです。
そしてそこにビリー・ホリデーの伝記映画を制作するという話がダイアナの元に舞いこみ、これをきっかけに26歳のダイアナは、スプリームスから離れる決意をします。
ダイアナはアーティストとしてもすばらしいですが、この『ビリーホリデイ物語』の演技はすばらしく、オスカーの主演女優賞にノミネートされるという栄誉を得ます。当時、黒人の女性がアカデミー賞にノミネートされるって相当すごいことだと思います。
ソロとなったダイアナは6曲のNo1ヒットをうみます。
Aint No Mountain High Enough(1970)
Touch Me In The Morning(1973)
Do You Know Where You're Going To(マホガニーのテーマ) (1975)
Love Hangover (1976)
Upside Down (1980)
Endless Love with ライオネル・リッチー(1981)
Touch Me In The Morning(1973)
Do You Know Where You're Going To(マホガニーのテーマ) (1975)
Love Hangover (1976)
Upside Down (1980)
Endless Love with ライオネル・リッチー(1981)
個人的には、CHICのナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズがProduceした『DIANA』が好き。
「Upside Down」と「I'm Coming Out」はダイアナの新たな魅力を開拓した。
さてダイアナのdiscographyの概略はこの位にして、マイケルとの関わりに焦点をしぼりたいと思います。69年にデビューするジャクソン・ファイブですが、ジャクソンファイブのデビューアルバムの原題は、『Diana Ross Presents The Jackson 5』です。
そしてジャクソンファイブの全米全国ネット放送でのデビューがダイアナ・ロスが司会進行する番組でした。それはスプリームスからの独立記念番組でもありました。その中でダイアナが、高らかにマイケル達希望の5人組の黒人グループの紹介をします。当時のダイアナは24歳。マイケルは10歳です(デビュー時は8歳としていた)。
マイケルは、その後もモータウン25周年記念番組で「ビリージーン」の衝撃パフォーマンスを見せますが、このジャクソンファイブのデビュー曲「I Want You Back(帰ってほしいの)のパフォーマンスは当時相当な衝撃(ファーストインパクト)を与えたように思います。
ジャクソンファイブのデビューの時期と同じくして、モータウンもデトロイトからハリウッドのあるセレブの都市・ロサンゼルスに本社を移転させていました。
そんな中、ジャクソンファミリーの新居が落ち着くまで、ジャクソン兄弟が居候したのがビバリーヒルズのベリー・ゴーディーの豪邸と同じ通りにあったダイアナの居宅(→これも豪邸)だったのです。上の兄3人がベリーの所で、マーロンとマイケルがダイアナの所だったようです。(そしてダイアナもベリーの所に通っていたという)
ダイアナ自身、アーティストでありますが、この業界について知ることをとても重要視していた。人任せでなく、ビジネス面にも注意を払わなければいけないという事を。彼女がトップアーティストとなったのは、才能はもちろんだけど、成功するために自分が何をすべきかをしっかりと見極め、実践していったところを感じる。
その事も含め、マイケルのとてつもない才能を見抜いていたダイアナは、歌だけではなく、幅広い視点を持ちいろいろなものを吸収していく大切さを10歳のマイケルに説いた。
そしてマイケルもその重要性を10歳にして理解した。マイケルが母キャサリンの死後の事を想定して、ダイアナを次の後見人に指名したのも、信頼できる人であることはもちろんだけど、子供たちがマイケルと同じようにショウビズ世界に進んだとき、この業界ついて知り尽くしているダイアナほど頼りになる存在はいないとも思っていたのかもしれない。
当時のマイケルたちは、いわゆる田舎から出てきた業界の礼儀も作法もしらない少年たち。一方のダイアナロスは、当時の間違いなくNo1のスーパースター。マイケルたちもこんなスターと一緒に暮らすなんてと相当驚いたようですが、マイケルもマーロンもこの時の生活は今でもとてもすばらしいものとして記憶に残っていたようです。
10歳のやんちゃ盛りのマイケルとマーロン。ダイアナに勧められて絵画等もしたみたいで、子供のすること、最後は喧嘩や遊びになって相当豪華であろうダイアナの家の絨毯を絵の具で汚したらしいですが、ダイアナは、「あなた達、この絨毯いくらすると思ってるの!」等ときっと怒ることなく優しく接したのだろうと想像する。
マイケルとダイアナが公式に共演したのは、78年に公開されたブロードウェイミュージカルのヒット作『ウィズ』(The WIZ)でした。
この作品は、『オズの魔法使い』の黒人バージョンのようなもので、モータウンのベリー・ゴーディーの主導で動いたビックプロジェクトでした。
ベリーがダイアナのためにこの作品の版権を買い、ダイアナのための作品を作ろうとした。当時としては最高額の2,400万ドル(当時のレートで48億くらいか。そして当時の48億ですから相当な金額っぽい)をかける。
このビックプロジェクトの音楽面での指揮をとったのがクインシー・ジョーンズでした。ミュージシャンが300人、コーラスが150人、オーケストラが9つという規模で、クインシーほどの人もこれほどのビックプロジェクトは初めてだったと述べています。
もともと児童文学で、少女を主役にした作品を、当時34歳のダイアナが、24歳の教師役という設定変更で作りあげたことで歪が生まれ、興業的には大失敗映画となったようで、この時の負債は、モータウンにも重くのしかかったように思います。
ダイアナ的には、守られていた世界から突然見知らぬ異世界に迷い込み、苦難を仲間たちと乗り越えて自分自身を見つめ直し自分を取り戻すドロシーと当時の自分の境遇がシンクロした。
映画の中でドロシーが困難を乗り越えていくように、ダイアナもこの映画を通して、離婚の傷を癒し、ベリー・ゴーディーへの依存(ダイアナとゴーディーは愛人の一言ではくくれない特別な関係だった)をやめ、自分自身を見つめ直し新たな世界へと旅立つきっかけを作ったようです。
マイケル・ジャクソンがかかし役で検討されていると聞いたとき、ダイアナはとても興奮したといいます。DANCEも要求されるかかし役に歌って踊れるマイケルほど適任の人はいないと。
マイケルが演じたかかしは、マイケルのようにピュアなキャラだった。吊るされた状態で身動きがとれずカラス達にバカにされるけど、この場所から解放されて自由に動き「いろいろな事を知りたい」という純粋な欲求を持っていた。脳みそがなくバカにされるカカシだけど知識への欲求は並外れていた。
マイケルもこのかかし役に自分を重ねた感じがする。バカにされながらも必死に勉強し知識を得自分を成長させようと努力する。マイケルは心からこの役を演じれることを喜んだといいます。そして、カラスを追い払い吊るされていたかかしを助けて解放するのがダイアナ演じるドロシーです。
今あらためてこのシーンを見ると胸を打たれます。この純真なカカシはマイケルそのもののように感じます。
マイケルの演技は素晴らしい。十字架の貼り付けのような状態のカカシ役のマイケル。カラスたちは、非難中傷するメディアと重なる。そしてダイアナがマイケルを救い出す。
解放されたカカシは、まだしっかりと歩くことができずヨロヨロし、倒れこむ。それを何度も抱き起こすダイアナ。あらためてこのシーンを見ると涙がこぼれた。
たちあがったカカシは、ドロシーが探す道を見つけ、そこを二人が華麗なステップとダーンで歩みだす。
ここでマイケルとダイアナは「Ease on Down the Road」という曲をDUOします。純粋にマイケルとダイアナがDUOしている曲はこの曲だけだと思います。
そして、この役にマイケルを選んだのも他ならぬベリー・ゴーディーだったようです。モータウンから喧嘩別れのような形で移籍していったジャクソンファミリー一員のマイケル。しかしベリーもダイアナと同様、マイケルが適任だと思ったに違いない。
作品は素晴らしい。一流の製作陣が集い、予算もかけた。クオリティーは相当なものだと思いますが、ダイアナに重点を置きすぎ失敗した感がある。
興業的には制作費の半分も回収できない大赤字作品だった模様。
しかし、この作品により、ダイアナの内なる開放と、マイケルの作品に対する真摯な姿勢に感心したクインシーが、マイケルのソロ作のプロデューサーを買って出るというきっかけを作りことになります。
マイケルは、そのクインシーと制作した『オフ・ザ・ウォール』が大ヒット。そして『スリラー』で頂点を極める事となる。
80年代に入ると、ダイアナとマイケルのポジションは逆転する感じ。年齢によるものもあるから時代は若き者へと移っていくのは仕方ないことではあるけど。
81年のダイアナのLIVEにステージに上がってくるように言われ終盤マイケルが登場するこの映像。
Diana Ross _ Michael Jackson- UPSIDE DOWN- 1981-FORUM-L.A.
https://youtu.be/9Qa1pDqNjwQ
ナイルとバーナードが手がけた「アップサイドダウン」、CHICのグルーブとマイケルのグルーブが融合するのも超エキサイティング!!マイケルはアドリブで踊り歌いますが、一気にマイケルワールドになります。そして横で踊るダイアナ。なんて素晴らしいパフォーマンスなんだろう。今でもこの映像を見るとマイケルが眩しすぎて涙が出る。
80年代に入り、モータウンから離れソロ活動を開始したダイアナにマイケルが力を貸します。マイケルは、ボーカリスト、ダンサーだけではなくソングライター、プロデューサーとしての才能も発揮し始めます。
82年に「マッスルズ」という曲を提供する(『シルク。エレクトリック』収録。プロデュースもマイケル)
スローな曲だけど、マイケルに匂いを感じる1曲。シンプルなバックトラックとフィンガークラップがCool。このクラップとマイケルのバックボーカルは、LIVEでの「The Way You Make Me Feel」イントロのTasteそのもの。ダイアナのシルキーVOICEも魅力的。HOT100で10位。今回、これまでレアだったEXTENDED(6:38)も収録されています。これまたCOOLです。
85年のビックなチャリティープロジェクト「We Are The World」では、マイケルからダイアナがボーカルを引き継ぎそしてデュオ。息が合った二人のボーカルは素晴らしい。
この時の模様はメイキングビデオでも見れる。
We Are The World ザ・ストーリー・ビハインド・ザ・ソング 20th アニヴァーサリー・スペシャル・エディション [DVD]
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- 発売日: 2012/03/23
- メディア: DVD
30周年記念盤のボーナス映像では、マイケルのソロパートが満載。使用されなかったけど、スティーヴィー・ワンダーとダイアナのDUOというか天才的なボーカルの掛け合いも見れる。このパート、本編にも入れて欲しかったな~。
そして85年の「Eaten ALive」。アルバム自体は、ビージーズが全面制作。ギブ兄弟のファルセットボーカルの質感とダイアナのボーカルの相性は抜群。一般的にはそんなに売れていないし評価も高くないけど、ダイアナのハイトーンボーカルがすごく魅力的でダイアナ作品としても名盤だと思っているおれ。
タイトル曲にマイケルも参加します。
70年代に頂点にたったビージーズと80年代に頂点にたったマイケルとのある意味夢の共演。しかしマイケルが絡むとビージー色は薄れ一気にマイケルワールドが展開される。
ダイアナの曲ではありますが、マイケル色全開のエッジの効いた曲。この頃のマイケルのボーカルは最高級なので、そこだけでも一聴の価値アリ。
当時、マイケルの新曲をめちゃくちゃ欲しており、マイケルがめちゃかっこよくバックボーカルで絡んだこの強力シングルは大ヒット間違いなしと思いましたが、HOT100-77位(R&B-10位)のヒットに留まります。マイケルの力をしてもダイアナにNo1シングルをもたらすことはできませんでした。
今回、12inchレコードに収録されていたバージョンがすべてデジタル化。Editバージョンは、ギターがかなり効いててエッジ感が増す。インストバージョンも、単純なインストではなく、マイケルの息遣いやボーカル部分がフューチャーされてて超かっこいい。これだけでも買いです!
さらにこのアルバムからのヒットシングルとなったスプリームスの匂いも感じる「Chain Reaction」(英国で1位を獲得)の貴重なRemixも収録されています(これも欲しかったんだ~)。
87年『BAD』に収録されNo1シングルにもなった「Dirty Diana」が話題を呼びます。あえてダイアナ風の女性もビデオに登場させるという。
以前「ダーティー・ダイアナ」の記事をUpした時、単なるネタ的要素が強いと記しましたが、今回あらためていろいろな記事にふれて、ちょっと見解が変わってきました。
ダイアナは、ロバート・シルバースタインという白人男性と71年に結婚している(同じ黒人男性ではなく白人男性というところに彼女のスタンスを少し感じてしまう)。出会いは、たまたま入った紳士服店。双方惹かれあいその場で電話交換をしたというから驚き。彼は学校の先生だったそうだが、その後業界に転職しダイアナのマネージャーとなる。その彼とは77年に離婚している。
その間に三人の娘が産まれるが、驚きべきは最初の子ロンダは、シルヴァースタインの娘ではなく、前述のベリー・ゴーディーとの子だった。しかし彼はそれを承知の上でダイアナと結婚したようだ。しかし、ベリーの影は絶えずダイアナにつきまとっていたようで、それが大きく影響し離婚することになる。
ダイアナが離婚したとき、ダイアナは33歳。その時、マイケルはまだ19歳。まだリアルに結婚を意識する年齢ではないでしょう。ただダイアナは憧れの年上の女性だったと思う。
ダイアナの最初の結婚の時、マイケルは祝福している。そして「彼女には幸福になって欲しかったですが、少しは傷つき、嫉妬したことは認めなければいけませんね。だって、僕はずっとダイアナのことを愛していたわけですし、これからもずっと愛していくでしょうから」と素直な気持ちを綴っている。
しかし、マイケルも男性として成熟していく過程で、リアルにダイアナとの結婚を望みだした部分もあったのではないかと感じる。しかし、ダイアナはそれはマイケルにとってプラスではないと思ったのではないだろうか。
ダイアナが最初に結婚したのは、ある意味ベリー・ゴーディーからの支配から抜け出すためだった要素もあるかもしれない。離婚後、恋多きダイアナではありましたが、再婚は考えていなかったようです。
しかし、ツアーを終え休息場所として滞在していたバハマで、ノルウェーの船舶王アルネ・ネス(大富豪)と運命的でRomanticな出会いをし恋に落ちたようです。そして86年にダイアナは再婚します。
マイケルは、ダイアナの再婚はないと思っていたろうし(多分、彼女もマイケルにそう言っていたのでは)、再婚するなら自分だと思っていたのかもしれません。ピュアなマイケルにとって、ダイアナのこの行為は裏切りのように思えたのかもしれません。
その思いが「ダーティー・ダイアナ」として生み出された部分はあったかもしれません。ただリアルにダイアナを中傷する意図はなかったと思います。でも悔しい思いをぶつけたかったという。ダイアナも大人の女性としてそれを受け止めた印象ももちます。マイケルに再婚はないといっておきながら再婚したことに申し訳なさも感じたかもしれません。
そして、92年に『Dangerous』からの2ndシングルとして発表された「Remember The Time」の欧州版シングルのクレジットの中に、“Didicated with Love to Diann Ross”(ダイアナロスに捧ぐ、愛を込めて)という記載があります。
(『FOREVER MICHAEL』Remember The Time マキシシングル図鑑より転載 http://mjj.blog.shinobi.jp/Entry/318/)
『Michael Jackson For The Record』にもダイアナ・ロスに捧げられたセカンドシングルという記載がある。その観点でこの曲のリリックを見るとけっこう納得する。
覚えているかい 僕らが恋に落ちた日のことを
覚えているかい あの秋の日 僕らは一日中一緒だった
覚えているかい どんな話をしたか 世が明けるまでずっと電話をしていた
覚えているかい あの特別な時間を 僕の心の中では 何度も何度も繰り返されている
あの素敵な思い出は 僕の大切な宝
何を言ったかは問題じゃない 2人だけの体験を僕は忘れない
覚えているかい あの公園 あの海辺
君と僕とで行ったスペイン
覚えているかい
僕は・・・僕は・・・
この「Remember The Time」について兄・ジャーメインの自叙伝でも触れられていて、ジャーメインも直接マイケルからダイアナへの思いを聞いた感じ。
「彼らがどれほど親密になったかについては、ほとんど常に、半自叙伝的であった彼の音楽が代弁しています。1992年にリリースされた「Remember The Time」の切ない歌詞を聴いてください。その歌は、マイケルが私に話したように、ダイアナ・ロスを念頭に置き、書かれたものでした。彼にとっては、彼から逃れた1つの大きな愛でした」と。
(Shanti&AnandaさんのBlogより引用 http://jaxon22.blog135.fc2.com/blog-entry-787.html)
この曲のショートフィルムもその視点で見ると妙に納得する。女王役のイマンがダイアナ。まさにモータウンの女王。そしてキングのエディー・マーフィー役が、モータウンの王・ベリー・ゴーディ。そして女王とマイケルは密会し(すでに2人は深い中で再会したともとれる)口づけをかわす。イマンは、ベリーの義理の息子でもある兄・ジャーメインが「恋にふるえて」で共演し、これまた熱いラブシーンを演じた相手。そこもかなり因縁。
Remember The Timeは間違いなくダイアナへの思いを綴っている。
90年代に入り、さらなる成功を手にしていくと同時にマイケルはどんどん孤独になっていった思いを持ちます。
マイケルを愛するファミリーや心配する人は多くいても、実際に傍にいれた人はいなかった。ダイアナにしても家族がいる。他のブラザーやファミリーしてもそう。リサ・マリーやデビー・ロウと結婚するもそこに本当の愛はあったのだろうか。
ただ誕生した子供たちは、マイケルの希望になったのは間違いない。
95年に出版されたダイアナの自叙伝でダイアナはマイケルのことをこう評している。
「いつも正当なものの見方をし、優しくて思いやりのある人で、他人の、特に子供たちの力になってあげることで世界に変化をもたらそうとする人間だと」。
マイケルの芸術性と自身を重ねてもいる。マイケルとダイアナはとても似ている気がする。
そして「最近は会う時間があまりなくて、彼をもっと知ることができない。成功するということは人と人とを遠ざける。しかし、一緒にいようが離れていようが、彼を大事に思う気持ちには変わりない。一時近しい間柄でいたこと、彼が私を好きでいてくれることはうれしい。彼を愛しく想う気持ちは貴重だし、私たちの友情はこれからも大切なものであり続けるだろう」と結んでいる。
96年にモナコで行われたワールド・ミュージック・アワードでダイアナがパフォーマンスをした際、最前列に座るマイケルに、No1ヒット、エイント・ノー・マウンテンのイントロに重ねて「私が必要ならいつでも呼んで」と冗談ぽく言い、マイケルも顔を覆って照れていますが、あれはダイアナからマイケルへのメッセージにも思えた。いつでも助けになると。マイケルの事をダイアナも相当気にかけていたと思うのだけど、お互いの置かれている状況が2人の距離を縮めることができなかった気がする。
そしてマイケルは逝ってしまった。
マイケルとダイアナは、恋人や夫婦や親子そんな一言ではくくれない強い絆で結ばれていたと思う。肉体関係がどうのこうのなんて下世話な話はどうでもいい。自分の一部と言ったダイアナの言葉が象徴的。
そしてマイケルは最後までダイアナを愛していたのだと思う。
マイケルがダイアナを後見人に指名したのは、最後まで貴方を愛しているというメッセージにも思えてきた。
そのダイアナが来日する。マイケルへの思いを語ってくれるのだろうか。
ああ、やっぱりMissing 、マイケル。
☆ダイアナ・ロスの自叙伝も一部参照しました
「オズの魔法使い」は見たことはありましたが、今回「The WIZ」を初めて見ました。ピュアなマイケルと純粋な案山子の姿が重なり私も涙がこぼれました。
ダイアナとのエピソードにも感動しました。ありがとうございます。
by D.D (2018-07-05 18:53)
私も純粋なカカシとマイケルが重なりました。長い文章になりましたが読んで頂きありがとうございます。
by amber35 (2018-07-19 06:50)
we miss u mike.
rest in piece
by M.D (2019-04-01 23:30)
ホイットニーに続き、マイケルの女性遍歴?において最重要人物ダイアナ姐さん。二人の想像以上の固い絆とすれ違いに、並みの恋愛映画では計り知れないドラマを感じました。あえて例えるなら「ラ・ラ・ランド」という感じ。華やかな世界に身を置きながらも、結局は別の道を歩む…それだけで号泣ものです。。。
それにしても「Dirty Diana」はネタと思いますが、「Remember The Time」は想像以上の愛憎が込められていますね。ライヴパフォーマンスをことごとく蹴った(「ソウル・トレイン・アウォード」の足の負傷は定かでありませんが)のも、思いが乗り過ぎて実は辛かったのかも、と思ってみたり…。
by トミーマーチ (2022-08-28 23:15)
「Dirty Diana」は当初、私もダイアナ公認のネタだと思っていましたが、今は、屈折したマイケルのダイアナへの求愛ソングという認識にいたっています。
こんなにもあなたの事を愛しているのに、再婚しないと言っていたのに、ひきょうだよ、ダイアナって感じで。
Rememberもクレジットにあるだけでなく、兄のジャーメインがけっこう暴露的な事いってるのは驚きました。
ダイアナとマイケル『La La Land』の世界観、たしかに切ない・・・
by amber35 (2022-08-30 20:19)