◆ State Of Shock / Jacksons 『スリラー』の後、全世界が注目する中、マイケルが共演したのがローリング・ストーンズのミック・ジャガーだった [楽曲・アルバムレビュー(ジャクソンズ名義)]
ORIGINAL 2008.11.17Upに加筆、修正
1982年の12月に発売された『スリラー』。このアルバムからは1年にわたり7曲のシングルがカットされ、「ビリージーン」「ビートイット」がNo1シングル、他の5曲もすべてTop10にチャートInするという記録も生みます。そしてアルバムも売れ続けます。グラミー賞での7冠、1983年12月、「スリラー」のショートフィルムによりさらなるマイケルフィーバーが起こります。私もこの「スリラー」でマイケルをリアルタイムに感じる事になります。
マイケルは『スリラー』の成功で、エンターテイメント界の頂点に登りつめたと言ってもいいと思います。そして『スリラー』熱も多少落ち着いてきた頃、次にマイケル・ジャクソンがどういう動きをするのか!?全世界が注目する事になります。マイケルも意図的に表舞台に出ることを控えていたといいます。そんな状況でいろいろな情報が錯綜していましたが、最終的に、マイケルとブラザーがジャクソンズとしてのアルバムを出し、ツアーに出ると言う事が発表されます。全米はジャーメインも含めたジャクソン兄弟6人が揃ったツアー発表の記者会見に熱狂します。
マイケルは『スリラー』の前人未踏の成功後、ジャクソンズとしての活動から離れるつもりだったと述べています。インタビューでもわかるように『オフ・ザ・ウォール』『トライアンフ』(Jacksons)期では、マイケルはジャクソンズを母体とし活動するような発言をしています。しかし、『Thriller』での桁外れの成功と評価により、ソロ活動とグループ活動とを平行して行うことに難しさを感じ始めたように思います。
ジャクソンズとしての活動のギャラも、ブラザーで均等に分けられていたようですが、マイケルはお金の面でソロ活動に注力したいという事ではなく、Creativeな面で兄弟たちとのバランスをとっていくことに難しさを感じていったようです。それは、楽曲のアレンジだったり、収録曲の事だったり、ツアーの演出だったり、自分の主張だけを通すことが難しく、他の兄弟の意見に従うことも多々あったようです。そして、ソロとしての楽曲とジャクソンズとしての楽曲との差別化の難しさも感じていったように感じます。ジャクソンズとしての活動に時間を配分する余裕がなくなっていったようにも思います。
しかし、父・ジョーや、母・キャサリンは、ジャクソンズあっての各々という意識が強かった。『スリラー』でマイケルはワールドワイドなスーパースターとなった。そして長らくモータウンでソロ活動をしていたもう一人のリード・ボーカル、三男ジャーメインも、アリスタレコードに移籍し快調なソロ活動を開始した、このタイミングで、ジャクソンズとしての力を結集せずにどうするんだという思いをファミリーはもったに違いありません。ここで兄弟たちの意志によりマネージメント契約の更新がされずにジャクソン兄弟から離れていた父・ジョーが再びマネージメントに就くことになります。そして、ビックプロモーターのドン・キングも呼び寄せる事になりますが、この事でビジネス臭が一気に高まることになります。関わる人間は、いかに自分の懐にお金をいれるか暗躍した。そんな状況でマイケルだけはその思いからは大きくかけ離れていたように思います。
しかし、兄弟とファミリーへの恩返しの思いをもってマイケルはジャクソンズの活動を継続します。そこには、母、キャサリンの説得も大いに働いたようです。そして、一度ステージに立つとマイケルは躍動し、ファンに最高のステージを見せてくれるのです。
1984年7月、ジャクソンズとしてアルバム『ビクトリー』を発表。当初、このプロジェクトのタイトルのマイケルの案は『ファイナル・カーテン』。そこにマイケルの気持ちが如実に表れています。しかしファミリーが大反対で『ビクトリー』におちつく。もともと「Victory」という楽曲がクイーンのフレディ・マーキュリーと制作していた3曲の内の1曲と言われていますが、未だに表には出ず。アルバムタイトルのイメージとしては、前作の『トライアンフ』と同じように、前人未踏の成功を収めたマイケルの勝利はジャクソンファミリーの勝利というイメージもあったのだと思います。
そしてアルバム発表後、北米大陸をまわる(当時としてはギネス級の)大規模な「ビクトリーツアー」が開始されます。(最終的には、USAとカナダで55公演、200万人を動員)
1982年の12月に発売された『スリラー』。このアルバムからは1年にわたり7曲のシングルがカットされ、「ビリージーン」「ビートイット」がNo1シングル、他の5曲もすべてTop10にチャートInするという記録も生みます。そしてアルバムも売れ続けます。グラミー賞での7冠、1983年12月、「スリラー」のショートフィルムによりさらなるマイケルフィーバーが起こります。私もこの「スリラー」でマイケルをリアルタイムに感じる事になります。
マイケルは『スリラー』の成功で、エンターテイメント界の頂点に登りつめたと言ってもいいと思います。そして『スリラー』熱も多少落ち着いてきた頃、次にマイケル・ジャクソンがどういう動きをするのか!?全世界が注目する事になります。マイケルも意図的に表舞台に出ることを控えていたといいます。そんな状況でいろいろな情報が錯綜していましたが、最終的に、マイケルとブラザーがジャクソンズとしてのアルバムを出し、ツアーに出ると言う事が発表されます。全米はジャーメインも含めたジャクソン兄弟6人が揃ったツアー発表の記者会見に熱狂します。
マイケルは『スリラー』の前人未踏の成功後、ジャクソンズとしての活動から離れるつもりだったと述べています。インタビューでもわかるように『オフ・ザ・ウォール』『トライアンフ』(Jacksons)期では、マイケルはジャクソンズを母体とし活動するような発言をしています。しかし、『Thriller』での桁外れの成功と評価により、ソロ活動とグループ活動とを平行して行うことに難しさを感じ始めたように思います。
ジャクソンズとしての活動のギャラも、ブラザーで均等に分けられていたようですが、マイケルはお金の面でソロ活動に注力したいという事ではなく、Creativeな面で兄弟たちとのバランスをとっていくことに難しさを感じていったようです。それは、楽曲のアレンジだったり、収録曲の事だったり、ツアーの演出だったり、自分の主張だけを通すことが難しく、他の兄弟の意見に従うことも多々あったようです。そして、ソロとしての楽曲とジャクソンズとしての楽曲との差別化の難しさも感じていったように感じます。ジャクソンズとしての活動に時間を配分する余裕がなくなっていったようにも思います。
しかし、父・ジョーや、母・キャサリンは、ジャクソンズあっての各々という意識が強かった。『スリラー』でマイケルはワールドワイドなスーパースターとなった。そして長らくモータウンでソロ活動をしていたもう一人のリード・ボーカル、三男ジャーメインも、アリスタレコードに移籍し快調なソロ活動を開始した、このタイミングで、ジャクソンズとしての力を結集せずにどうするんだという思いをファミリーはもったに違いありません。ここで兄弟たちの意志によりマネージメント契約の更新がされずにジャクソン兄弟から離れていた父・ジョーが再びマネージメントに就くことになります。そして、ビックプロモーターのドン・キングも呼び寄せる事になりますが、この事でビジネス臭が一気に高まることになります。関わる人間は、いかに自分の懐にお金をいれるか暗躍した。そんな状況でマイケルだけはその思いからは大きくかけ離れていたように思います。
しかし、兄弟とファミリーへの恩返しの思いをもってマイケルはジャクソンズの活動を継続します。そこには、母、キャサリンの説得も大いに働いたようです。そして、一度ステージに立つとマイケルは躍動し、ファンに最高のステージを見せてくれるのです。
1984年7月、ジャクソンズとしてアルバム『ビクトリー』を発表。当初、このプロジェクトのタイトルのマイケルの案は『ファイナル・カーテン』。そこにマイケルの気持ちが如実に表れています。しかしファミリーが大反対で『ビクトリー』におちつく。もともと「Victory」という楽曲がクイーンのフレディ・マーキュリーと制作していた3曲の内の1曲と言われていますが、未だに表には出ず。アルバムタイトルのイメージとしては、前作の『トライアンフ』と同じように、前人未踏の成功を収めたマイケルの勝利はジャクソンファミリーの勝利というイメージもあったのだと思います。
そしてアルバム発表後、北米大陸をまわる(当時としてはギネス級の)大規模な「ビクトリーツアー」が開始されます。(最終的には、USAとカナダで55公演、200万人を動員)
これまでジャクソンズのアルバムのリードボーカルは、当然のごとくマイケルでしたがが、今作は、兄弟が自作の作品をそれぞれがもちよりそれぞれがボーカルをとる、各自のソロ作を集めたような作品になります。(ジャーメインは楽曲の提供はなし)アルバムは、1984年の7月に発売されますが、出荷と同時に200万枚売れるという(当時の)初回出荷数の記録を生みます。
◆ LAリード監修 マイケル死去後作品『Xscape』発表 - 誰もがMJをControlしたがっている - エスケイプ レビュー [マイケル死後・プロジェクト]
ORiGINAL 2014.6.11 UPに若干追記
マイケル・ジャクソンの逝去後の2枚目のアルバムが2014年5月13日に発売されました。NEWアルバムという言い方もされていますが、ニューアルバムという表現は適切ではないと思います。
前回の記事でも書きましたが、発表された8曲中、6曲のほとんどは既にリークされていて、私も1年以上前から聞いている曲でした。1stシングルにもなった「Love Never Felt So Good」と「Slave To The Rhythm」はふつうにヘビロテでした。
「シカゴ」と「She Was Lovin Me」は初めて聴いた曲で、いいですね。
今回、アルバムの指揮をとったのがEPIC・SONYのCEOに就任したLAリード。元々ミュージシャン(ドラマー)でLA&BABYFACEのチームで80年代後半から90年代前半、ヒットを連発(ボビー・ブラウンやホイットニー等)したプロデューサー。BABYFACEとコンビを解消してからは経営の方にまわりこれまた数多くの成功を収めていく。かなりやり手の人。
ライナーノーツに書いてありましたが、EPICのトップに就任して、彼がすぐに着手したのがこのマイケル・ジャクソンのプロジェクトだったそうです。そしてLAリードのハートをつかんだ曲が前述の「Love Never Felt So Good」でした。これまでのMJの曲でもありそうでなかったストレートでピュアなラブ・ソング。そして、MJの肉体はこの世にない今、今回ダンスという視覚にうったえるものがない事で、より鮮明となるマイケルのボーカルの素晴らしさです。
この曲、「オフ・ザ・ウォール」期かと思ったら「スリラー」セッションだと。しかし、マイケル・ジャクソンの楽曲大辞典のような『MICHAEL JACKSON FOR THE RECORD』では1980年のレコーディングとなってる。「This Is It」と同じ時期だと思うので、1980年説が正しいと思うオレ。そしてマイケルのボーカルは躍動感に満ち溢れています。
今回のアルバムは、前作のマイケル死去後に発売された『MICHAEL』ほど曲の完成度にばらつきは感じませんが、やはりこれまでマイケルが制作したアルバムほどの完璧な調和感はない。リードはティンバランドを軸のプロデューサーに据えていますが、それでもやはりトータル感はうすい。
その要因の一つに、やはりボーカルの録音時期にバラつきがあるからだと思います。リードのいうコンテンポライズ化でサウンドは今風(そこまで今風とも思えないけど)にしても、精通している人が聞けばわかるマイケルのボーカルの質は統一感を薄れさせる。
マイケル・ジャクソンの逝去後の2枚目のアルバムが2014年5月13日に発売されました。NEWアルバムという言い方もされていますが、ニューアルバムという表現は適切ではないと思います。
前回の記事でも書きましたが、発表された8曲中、6曲のほとんどは既にリークされていて、私も1年以上前から聞いている曲でした。1stシングルにもなった「Love Never Felt So Good」と「Slave To The Rhythm」はふつうにヘビロテでした。
「シカゴ」と「She Was Lovin Me」は初めて聴いた曲で、いいですね。
Sing to Me: My Story of Making Music, Finding Magic, and Searching for Who's Next (English Edition)
- 作者: Reid, LA
- 出版社/メーカー: Harper
- 発売日: 2016/02/02
- メディア: Kindle版
今回、アルバムの指揮をとったのがEPIC・SONYのCEOに就任したLAリード。元々ミュージシャン(ドラマー)でLA&BABYFACEのチームで80年代後半から90年代前半、ヒットを連発(ボビー・ブラウンやホイットニー等)したプロデューサー。BABYFACEとコンビを解消してからは経営の方にまわりこれまた数多くの成功を収めていく。かなりやり手の人。
ライナーノーツに書いてありましたが、EPICのトップに就任して、彼がすぐに着手したのがこのマイケル・ジャクソンのプロジェクトだったそうです。そしてLAリードのハートをつかんだ曲が前述の「Love Never Felt So Good」でした。これまでのMJの曲でもありそうでなかったストレートでピュアなラブ・ソング。そして、MJの肉体はこの世にない今、今回ダンスという視覚にうったえるものがない事で、より鮮明となるマイケルのボーカルの素晴らしさです。
今回のアルバムは、前作のマイケル死去後に発売された『MICHAEL』ほど曲の完成度にばらつきは感じませんが、やはりこれまでマイケルが制作したアルバムほどの完璧な調和感はない。リードはティンバランドを軸のプロデューサーに据えていますが、それでもやはりトータル感はうすい。
◆ Michael Jackson 『XSCAPE』 Track List 8曲の公開 [マイケル死後・プロジェクト]
ORIGINAL 2014.4.20Up
この記事は、2014年5月14日、マイケル逝去後の2枚目のアルバムとなった未発表曲集『XSCAPE』の発売の約1ヶ月前にUpした記事です。まだ発売前で、収録曲もオープンになっておらず、曲目だけが海外のサイトで発表された段階でした。その発表を受けてマイケル死後の未発表曲アルバムについての思いとSONYのプロモーションについて綴ったものです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2014年5月14日、マイケル・ジャクソンのアルバム『XSCAPE』(エスケイプ)の国内盤が発売されます。ニューアルバムという言い方がされていますが、ニューアルバムではないでしょう。そこにMJの意志は反映されていないのだから。
この作品の発表を、天国のマイケルがどう思っているかはわからない。けど、われわれファンが喜んでいる、楽しみにしているという一点では、マイケルも笑顔でいるのではと思う。
さっそくBMRのサイトや、海外サイトでもTrack Listの8曲が公開されています。
多分、この8曲なんでしょう。タイトルは変わっているかもしれませんね。
Slave To The Rhythm
Chikago ★
Blue Gangsta
Love Never Felt So Good
A Place With No Name
Do You Know Where Your Children Are
She Was Lovin Me → Lovin' You ★
XSCAPE
BONUS TRACK あるかも
この内、6曲はリークされていてけっこう出回っていて、音源はある。私、別にどこかに特別なルートがあるわけではありません。普通にネットをたどっていったら、遭遇した6曲。実際、これまで普通に聞いていた(十分聞けるクオリティー)ので新鮮味にかけるといえば、そう。★の2曲はちょっと知らない。
この記事は、2014年5月14日、マイケル逝去後の2枚目のアルバムとなった未発表曲集『XSCAPE』の発売の約1ヶ月前にUpした記事です。まだ発売前で、収録曲もオープンになっておらず、曲目だけが海外のサイトで発表された段階でした。その発表を受けてマイケル死後の未発表曲アルバムについての思いとSONYのプロモーションについて綴ったものです。
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2014年5月14日、マイケル・ジャクソンのアルバム『XSCAPE』(エスケイプ)の国内盤が発売されます。ニューアルバムという言い方がされていますが、ニューアルバムではないでしょう。そこにMJの意志は反映されていないのだから。
この作品の発表を、天国のマイケルがどう思っているかはわからない。けど、われわれファンが喜んでいる、楽しみにしているという一点では、マイケルも笑顔でいるのではと思う。
さっそくBMRのサイトや、海外サイトでもTrack Listの8曲が公開されています。
多分、この8曲なんでしょう。タイトルは変わっているかもしれませんね。
Slave To The Rhythm
Chikago ★
Blue Gangsta
Love Never Felt So Good
A Place With No Name
Do You Know Where Your Children Are
She Was Lovin Me → Lovin' You ★
XSCAPE
BONUS TRACK あるかも
この内、6曲はリークされていてけっこう出回っていて、音源はある。私、別にどこかに特別なルートがあるわけではありません。普通にネットをたどっていったら、遭遇した6曲。実際、これまで普通に聞いていた(十分聞けるクオリティー)ので新鮮味にかけるといえば、そう。★の2曲はちょっと知らない。