◆ マイケル・ジャクソン死後の作品『MICHAEL』に収録された3曲(カシオトラック)はマイケルのボーカルではないのか!? アルバム『MICHAEL』も再考察する [マイケル死後・プロジェクト]
2009年6月25日、マイケル・ジャクソン逝去。マイケルの死後に、マイケルの意志を置き去りにしてエステート(マイケル遺産管理団体)とレコード会社主導でマイケルのアルバムが発表される事になります。複雑な思いはありましたが、個人的にはマイケルの曲が聞けるという喜びの方が強かった。2010年12月15日、アルバムタイトル『MICHAEL』として作品が発表されます。
アルバムが発表された当時からアルバムに収録されたTrackのいくつかがマイケルのボーカルではないという声があがり、今年、その疑惑とされた「Breaking News」「Keep Your Head Up」「Monster」の3曲が、ネット配信のリストから外されます。
当時、アルバム『Michael』発表前に、まず「Breaking News」が解禁された。疑惑の1曲の一つだ。その時、正直、いつものマイケルの声ではないなとは感じたけど、全体的な空気感はマイケルだった。これから発表されるマイケルのアルバムでマイケルではない誰かが歌っているボーカル作品が収録されるなんて考えもしなかったので、多少の違和感をもちつつ「Breaking News」を受入れ、アルバム発売をまった。当時記した記事を交えつつ、今回の疑惑のボーカルと当時の制作背景をまじえて私の見解を述べたいと思います。
◆ All I Do Is Think Of You / Jackson 5 ジャクソンファイブ時代の最後のシングル マイケルとジャーメインが歌う切ないLove バラード [楽曲・アルバムレビュー(ジャクソンズ名義)]
この「All I Do Is Think Of You」は、1975年11月にリリースされたジャクソンファイブとしての最後のシングル曲となっています。(75年6月リリースの「Forever Came Today」と両A面シングルになっている模様)チャート的にはR&Bで50位、POPチャートではランクインしていません。モータウンレコードの最後のアルバムとなった『Moving Violation』からのシングル曲です。後にジャクソンファイブのベスト盤等にも収録されています。(私も初聞きはジャクソン5のBest盤でした)
チャート的にはふるいませんでしたが、個人的にはこのバラード「Think Of You」はジャクソンファイブ時代の中で最も好きなバラードです。
1969年、モータウンレコードで「I Want You Back」でデビューしたジャクソンファイブ、リードをとるマイケルは11歳でしたが、天才的なボーカルでした。人によっては、この頃のマイケルのボーカルが一番すごいと評する人もいる。そんな中、モータウンで多くの楽曲を歌いヒット曲を生み出しながら、マイケルも少年から青年へと成長していきます。
この『Moving Violation』期ではマイケルは17歳になっており、苦しんだ声変わりも終え、少年マイケルの歌声ではなく、ジャクソンズ期、ヒット曲をだしまくる80年代のマイケルのボーカルを感じる事ができます。そのマイケルが歌うラブソングなのです。
さらに注目したいのが、ジャクソンファイブのもう一人のボーカリスト・ジャーメインの歌声です。このアルバムは、ジャーメインにとってもジャクソンファイブとしての最後のアルバムとなります。この後、ジャーメインを残して、他の兄弟達はギャランティーのアップと制作権を得るためにEpicレコードへ移籍することになるからです。ジャクソンファイブ時代は、リードボーカルはマイケルとジャーメインが中心になっていました。この時期は2人のボーカルの絡みはたくさん聞けるのですが、マイケルのボーカルはまだ少年のそれなのです。
そういう意味で大人となり成熟した2人のボーカルでの共演は、1984年、ジャクソンズとしての『Victory』期の「トーチャー」。そして同年のジャーメインのソロアルバムでの「Tell Me I'm Not Dreamin'」の2曲しかありません。
『Moving Violation』は、気持ちは新天地に向っているジャクソン兄弟にとっては気合いの入ったアルバムではないかもしれませんが、変声期を終えた青年マイケルとすでにソウルなジャーメインのボーカルが堪能できる貴重なアルバムでもあるのです。そしてこのSweetで切ないバラードで2人のボーカルが絡み合うのです。
◆ The Jacksons 『Victory』(84)ブラザー6人が集った唯一のジャクソンズのアルバムを掘り下げる。これを読めば6倍楽しめる(かも)。 [楽曲・アルバムレビュー(ジャクソンズ名義)]
前人未踏の成功をおさめたマイケル・ジャクソンの『スリラー』。1984年に入っても『スリラー』からの最後のシングル「スリラー」のショートフィルムによりさらなるマイケルフィーバーは続いていました。その真っ只中で、ジャクソンズとしての動きが始まります。マイケル自身は、『スリラー』の成功によりジャクソンズから離れソロ活動へシフトする事を考えていましたが、マイケルの思いとは別に、ジャクソンファミリーは今こそジャクソンズの力を結集してプロジェクトを進めるべきと言う思いを強めた。
そして息子たちにマネージメント契約を切られていた父・ジョーが、ここにきてマネージャーに復帰しジャクソンズとしてのプロジェクトを進めようとしていきます。周囲のフィーバーとは裏腹に、そのフィーバーの中心であるマイケル自身は、非常に冷めていた感じです。しかし、母・キャサリンも共同開催者として名を連ねたツアーにもなり、説得もされマイケルは兄弟たちと最後のツアーに出ることを決意します。
そしてまず、ジャクソンズとしてのアルバムを出し、その後、スタジアム級の場所で行うツアーを行うことを決定します。アルバムのレコーディングは1983年の年末から始まったようです。
モータウンでのジャクソンファイブ時代も含め、グループの中心でリードボーカルはマイケルでしたが、1984年に発売された『Victory』は、それまでのマイケル中心のアルバムではなく、ジャッキー、ティト、マーロン、ランディーもリードボーカルをとり、さらにそれぞれがProduceした楽曲が収録された作品となります。それまで一人、モータウンでソロ活動をしていたジャーメインも9年ぶりに復帰します。ジャーメインの場合は、制作曲はなくボーカルのみの参加となります。
なぜ『Victory』は個々のソロ作品を集めたような作品になったのかをまず掘り下げていきたいと思います。