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◆ ジャーメインとマイケル 最終回 ❻ Smile [ジャーメイン・ジャクソン]

                                 ORIGINAL 2010.9.21
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マイケルとジャーメインの関係性を楽曲をまじえて紹介してきましたが、今回最後となるのが、マイケルが愛し、マイケルの追悼式でジャーメインが歌った曲、「スマイル」です。
 
 これまで紹介してきたようにモータウンからデビューしNo1ヒットを連発したジャクソン・ファイブ。マイケルとジャーメインのリードボーカルと他のブラザーとのハーモニーで多くの人を魅了していきます。しかし、彼らのモータウンでの活動も行き詰まっていき、さらなる成長を求めモータウンから離れる事となります。その中で、モータウンの社長ベリー・ゴーディーの娘と結婚していたジャーメインは、一際モータウンに恩義を感じており、一人モータウンに残ることを決断します。
 マイケルは、いつも自分の左にベースを持って立つジャーメインを本当に頼っていたみたいで、彼がいなくなった最初のショーで「生まれて初めて丸裸になった気分になった」と述べています。マイケルは、失って初めてジャーメインの存在の大きさを知ることになったのだと思います。ジャーメインが抜けた穴を埋めるべく、新たに加入した末弟ランディーとともに、マイケルと兄弟は全力で頑張ったといいます。ある意味、ジャーメインの脱退が、マイケルの自立心を高め、またその後のソロへの弾みになった一因にもなっているかもしれません。

 そんなジャーメインも、モータウンでのソロ活動にも一区切りつけ、1984年、新天地アリスタレコードへ移籍し、自身のアダルトでソウルな魅力に磨きをかけていきます。ジャクソンズにも復帰。ついにブラザー6人が集う事となります。ここでジャーメインとマイケルは「Torture」で久々のDUOを聞かせてくれます。

Victory

Victory

  • アーティスト: Jacksons
  • 出版社/メーカー: Sbme Special Mkts.
  • 発売日: 2008/03/01
  • メディア: CD

 兄弟とともにビクトリーツアーと冠したツアーにも出ます。マイケルとのエキサイティングな「Tell Me I'm Not Dreamin」をステージで披露もします。

 1989年、JACKSONSは『2300Jackson Street』を発表します。しかし、ビクトリーツアーを最後に、グループから離れていたマイケルはこのアルバムに参加していません。(1曲のみファミリーの歌に参加)これまでリードをとっていたマイケルに代わってアルバムの中心となったのがジャーメインでした。ここでも、1枚のアルバムでマイケルとジャーメインがリードをわけあうような作品にはならなかったのです。

 1991年マイケル・ジャクソンの『DANGEROUS』と同時期に発表されたジャーメインのソロ作『You Said』。

You Said by Jermaine Jackson

You Said by Jermaine Jackson

  • アーティスト: Jermaine Jackson
  • 出版社/メーカー: Sony / LaFace
  • メディア: CD

 そこに収録された「Word To The Badd」については前回紹介したとおり、ジャーメインとアルバム制作中であった当時のTOP Producer、LA&BABYFACEを自身のアルバムへの楽曲提供のため呼び寄せたことを発端としました。この時期のマイケルとジャーメインの関係は最悪だったと思います。それこそ修復不可能かと思われたくらい。
 しかし、1993年に起こったあのエヴァン・チャンドラーによる悪意と嫉妬に満ちた虚偽の告発でマイケル・ジャクソンの取り巻く状況は一転します。この時、メディアはマイケル・ジャクソンを一斉に攻撃した。それはそれまでのおもしろおかしいゴシップ的なものではなく、マイケルを犯罪者、変質者扱いし、容赦なく長期間に渡って攻撃し続けた。それは個人の精神をも破綻させるようなものだったと思います。この時の報道でマイケルが受けた精神的なダメージはかりしれませんでした。(ここから死へのカウントダウンが始まっていたといってもいいかもしれない)
 
 90年代のマイケルは、80年代とはちがう風貌になっていた。マイケルの肌は尋常性白斑により白くなってしまったのですが、スポットスポットでしかマイケルを見ていない人や、メディアの報道を鵜呑みにしている人、この病気の事も詳しくは知らない人はマイケルの奇行のひとつとしてとらえ、これらの出来事でマイケルから離れていった人も多かった。


 
しかし、マイケルにはたくさんの味方がいました。ファンはもちろんいますし、親しい友人も彼をサポートした。そして、やはりジャクソンファミリーは全面的にマイケルを守った。(一時期、ラトーヤがおかしな行動をとっていましたが、あれは元夫のゴードンに洗脳、誘導されたもの)そして、その中でいつも積極的にマイケルを擁護するコメントを発していたのが兄ジャーメインでした。
 彼はメディアや警察に「でっちあげで弟を苦しめるのはやめてくれ。これはリンチだ。マイケルをそっとしておいてくれ!」と事あるごとにうったえます。過去の「Word To Tha Badd」の件ををむしかえされつっこまれたりもしたけど、ジャーメインは本気で怒って反論した。基本、強気のジャーメインはメディアの攻撃に動じない。そして、言うべき点はしっかりと主張する。マイケルをネタにするコメディアンに対しても、マイケルの名誉のためにきっちり非難した。そして、マイケルの死の際も、ジャーメインはできる事なら代わってやりたかったという発言もしています。
 
 マイケルは子供も授かり落ち着いた生活を取り戻したかと思っていた矢先の2003年、マイケルの善意でつながりを持った家族(アルヴィーゾファミリー)がハリウッドでは有名なたかりのペテン家族で、マイケルはその連中の餌食となります。加えて1993年時にメンツ丸つぶれ感のスネドンを筆頭とした検察側も、
お門違いと思える復讐心にもえマイケルを起訴。再びマイケルは悪夢の中へ陥れられるのです。
 
しかし、マイケルの無実の材料はたくさんあった。それを弟ランディーが探してきた有能なメゼロウ弁護士が、きっちりと積み上げていき、陪審員へ冷静かつ的確な証拠を提示していきます。無作為に選ばれた陪審員が判決を下す米国の陪審員制度、12人の内、マイケルに同情的であろう黒人は一人も入らず、さらに被告と同じヒスパニック系も4人と決してマイケルにとって有利な構成ではなかった。しかし、2005年6月、この状況下でも、陪審員の全員がマイケルは無罪と判断するのです。マイケルに完全無罪の判決がもたされます。
 
この時も、ジャーメインは全世界に向けて感謝の言葉を述べています。そして「弟は、本当に、とてつもなく強かった。」とマイケルの精神的なタフさを称えています。私も本当にそう思います。マイケルは本当に強かった。


 その後、心身ともに疲れ果てたマイケルが静養先に選んだのは、中東のバーレーンでした。この辺は、90年代に入ってイスラム教に改宗(けっこう驚いた)していたジャーメインが手配したのだと思います。一時期、この地に永住するとかバーレーンのレコード会社からニューアルバムを出すなどという報道を聞いて驚きました。マイケルもイスラム教に改宗するのかと思った事もありましたが、それはなかったようです。
 
 そして、2009年6月25日、マイケルの死をメディアに正式に伝えたのもジャーメインでした。最初、ニュース速報でマイケルの死を見てもガセネタだと思っていたのですが、会見するジャーメインを見て、それが真実と分かり愕然としました。
 
 このBlogでもマイケルが亡くなった時の気持ちを書きましたが、当時悲しすぎて、マイケルの曲を聞く気になれませんでした。そんな中、彼を偲んで唯一聞けることができたのが、チャップリンの映画『モダン・タイムス』のテーマソング「Smile」でした。
 『History』のエンディングにおさめられたマイケルにはめずらしいカバーソングです。『History』は、当時のマイケルの心の叫びがほとんど占めたアルバムです。それが愛に満ち溢れた作品なら救われるのですが、マスコミや彼にたかる悪意ある人たちへの、攻撃性に満ちたある意味悲痛なメッセージが大半を占めた
アルバムでした。
 そんな中、悲しみや苦しみの中にも希望を見出そうとする「Smile」がとても印象的でした。マイケル・ジャクソン自身が自分に言い聞かせているようにも思えるリリックです。

 微笑もう 涙なんて何の役にもたたない 人生はまだまだ生きる価値があると思えるさ 微笑みさえすれば・・・

 マイケルが亡くなって1週間、毎日のようにこの曲を聞いていました。

 そして追悼式でマイケルの恋人というより親友、いや戦友に近い印象も持ったブルック・シールズが、マイケルはこのスマイルが本当に大好きだったと言う話をします。「我々は今悲しみに打ちひしがれているけど、下を向いていてはいけない。上を向けば、三日月に腰掛けているマイケルがみえるはず。だから微笑みましょう」と。
 彼女のその言葉を聞いて、涙があふれ止まりませんでした。マイケルの事を思って涙したのはそれが最後です。

 そしてこの追悼式でジャーメインがファミリーを代表してこの「スマイル」をマイケルに捧げます。
 


 久々のジャーメインの歌声でした。ジャーメインのボーカルは素晴らしかった。まったく衰えていない。この時、ジャーメインがイヤーモニターに手を触れるシーンがありますが、西寺郷太氏のFM Radio番組『ディスカバーマイケル』出演時のインタビューで、実はモニターが不調だったという(けっこう驚きの)事実も語られます。が、ジャーメインは動揺することなく素晴らしい歌声を聞かせてくれます。
 昔から言われていましたがジャーメインのボーカルは温かさがある。この時、久々のジャーメインの歌声を聞いて以前にまして高音が出てて素晴らしく思えました。情感を込め、すばらしい感動的な歌声をきかせてくれます。終盤、涙ぐんでるのがわかりますが最後まで歌いきります。そしてステージを降りて5人のブラザーと抱きあいます。(この時のジャーメインの歌声はItunes等で有料でDLできます)

 この「スマイル」という曲は、歌うのは難しい曲だと思います。そしてこの曲を通してジャーメイン、マイケルの歌声を聞くと、2人の声質の違いもわかりますが、いかに2人が素晴らしいボーカリストであるかを感じることができると思います。ただちょっと複雑なとこもあって、やはりこの「スマイル」はマイケルの歌として心に刻んでおきたいです。

 ジャーメインは、2005年にスマトラ沖地震災害の際に、Al Walser(アル・ヴァルザー→よく知らない)とともに「Living A Dream」というチャリティソングを発表していますが、それは同時にマイケルを支持する曲でもありました。そしてマイケルの死後、この曲を「Living Your Dream」として一部リリックを書き換え、そしてMJ ALL Stars(このメンツもよく知らない・・・)というメンバーも参加し追悼チャリティーソングとして発表されています。
 
Living Your Dream

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 その中でも、マイケルの願い、「世界はひとつ、みんなでより良い世界を作ろう」という思いは、我々の中で生き続けると歌われています。
 
 当時、ジャーメインは、マイケルの追悼コンサートを企画したり、自身が歌う追悼ライブも行う等発表していました。ジャーメインもマイケルの夢、意志を継いでこれまで以上に慈善活動にも励むと思います。そして1991年から発表されていないジャーメイン自身のソロ作も期待しています。これほど素晴らしい歌声をもっている人が、その声をただスポークスマンの役割だけで使うなんてもったいなさすぎる。
 もっともっと「Torture」や「Tell Me I'm Not Dreamin」のようなエキサイティングなマイケルとジャーメインの歌声を聞きたかった。しかしこれらの二人のDUO曲は今も輝き続けています。2曲しかないからこそさらにその価値が高まっているようにも思います。

 ジャーメインは、今でもマイケルの死が受け入れられないと述べています。この状況を受け入れようと努力していると。才能あるジャーメイン、そのジャーメインの光は、マイケルというとてつもない太陽によって消された部分もあったと思います。マイケルに対しては、マイナスの感情ももった時期もあったと思います。しかし、最後に残ったのはやはりマイケルへの愛だった。

 ジャーメインとマイケルの関係性を楽曲をまじえて紹介してきましたが今回の「Smile」で終わりです。しかし、マイケルへの想いはその後、ジャーメインを含めたブラザー4人での『Unity Tour』でも感じることができました。そしてジャーメインはこれからもマイケルへの想いを語り続けてくれるに違いない。
 

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