◆ ジャーメインとマイケル ❶ I'll Be There ジャーメインの帰還 [ジャーメイン・ジャクソン]
original 2010.5.28Up
ジャーメイン・ジャクソン(1954年生・三男)はマイケル(1958年生・五男)の4歳上の兄です。ジャーメインは、「Let's Get Serious」という1980年のビルボード年間No1シングル(年間ですよ!)や他にもヒット曲やグラミーのノミネート歴もある。ホイットニー・ヒューストンのデビュー時にはProducer、Duoパートナーとして、ホイットニーのスーパースター化への後押しもした。しかし、物足りない。
もし、マイケルという世紀の天才が弟でなかったら、ジャーメインは、R&Bだけでなくもっと今よりもはるかに高い評価を受けていたように思います。マイケルというあまりにもまばゆいスターが、ジャーメインの光を見えなくしてしまった気がします。マイケルがソロとして成功すればするほど、その光が増すほど他の兄弟たちの光が消されてしまったように感じてしまう。
ジャーメイン・ジャクソン(1954年生・三男)はマイケル(1958年生・五男)の4歳上の兄です。ジャーメインは、「Let's Get Serious」という1980年のビルボード年間No1シングル(年間ですよ!)や他にもヒット曲やグラミーのノミネート歴もある。ホイットニー・ヒューストンのデビュー時にはProducer、Duoパートナーとして、ホイットニーのスーパースター化への後押しもした。しかし、物足りない。
もし、マイケルという世紀の天才が弟でなかったら、ジャーメインは、R&Bだけでなくもっと今よりもはるかに高い評価を受けていたように思います。マイケルというあまりにもまばゆいスターが、ジャーメインの光を見えなくしてしまった気がします。マイケルがソロとして成功すればするほど、その光が増すほど他の兄弟たちの光が消されてしまったように感じてしまう。
現在、ジャーメインのソロ活動を紹介していますが(まだ途中)、今回はジャクソンファイブ時代からの楽曲と絡めてジャーメインとマイケルの関係性格私なりに考えたいと思います。
兄3人が中心となって結成されたジャクソンファイブは、結成当時のリードボーカルはジャーメインでした。その甘いルックスとソウルなボーカルは兄弟の中でも一歩抜きでていました。そんな中、いつも兄ジャーメインを真似て歌うお子ちゃまがマイケルだったのです。
当時は、家族は「ここにもリードボーカリストがいるぞ」って楽しんでいたみたいですが、そのボーカルがただ事でないことが徐々にわかってくるのです。こうして必然的にリードボーカルは天才少年マイケルになっていくのです。
兄3人が中心となって結成されたジャクソンファイブは、結成当時のリードボーカルはジャーメインでした。その甘いルックスとソウルなボーカルは兄弟の中でも一歩抜きでていました。そんな中、いつも兄ジャーメインを真似て歌うお子ちゃまがマイケルだったのです。
当時は、家族は「ここにもリードボーカリストがいるぞ」って楽しんでいたみたいですが、そのボーカルがただ事でないことが徐々にわかってくるのです。こうして必然的にリードボーカルは天才少年マイケルになっていくのです。
ジャクソンファイブ時代は、デビューの1969年11月から75年の11月の約6年間です。R&BでのNo1は6曲。Hot-100では4曲。そのNo1シングル4曲もデビューシングルから連続のNo1ヒットという伝説を作ります。
ほとんどのヒット曲のリードボーカルはマイケルです。私、ジャクソンファイブの全アルバムの曲をすべては聞いていませんので調子乗って書けないのですが、マイケルとジャーメインのデュオのようなスタイルの曲はほとんどないと思います。マイケルからアクセント的にジャーメインが引き継ぎ、マイケルに再びもどったり、2人の掛け合いのような感じはありますが。
ジャーメインがリードをとったヒット曲は、75年のR&B5位(Hot100-15位)の異色作「I’ Am Love」。後半、マイケルはバックボーカルで盛り上げます。
そんな中、マイケルとジャーメインの声質を考えて作られたような名曲が、4枚目のNo1シングル「I’ll Be There」だと思います。マイケルの追悼コンサートでも、この曲のカバーをし、No1シングルにもなったマライア・キャリーによっても歌われました。美しいメロディーです。出だしは、ピュアで透明感のある美しいマイケルのボーカルから始まり、ジャーメインのソウルなボーカルへ引き継がれます。そして再びマイケルがサビを歌い、兄弟たちのコーラスとともに盛り上がる。
他に、マイケルとジャーメインの絡みで印象に残るのは「Corner Of The Sky」。そしてジャクソンファイブの最後のシングル「All I Do Is Think Of You」(メチャ好き)のマイケルとジャーメインの掛け合い。この頃になると、マイケルのボーカルも声変わりが落ち着き、その声も少年から青年へと変化し、今の声に近い。
いつも思うことですが、もしジャーメインが、兄弟たちと一緒にエピックへ移籍していたら、マイケルとジャーメインという素晴らしいボーカルの絡みをもっと聞けたのにと思います。
76年の移籍騒動の時に、ジャーメインはひとりモータウンに残ります。そこには、モータウンの社長・ベリー・ゴーディーJrの娘・ヘイゼルと結婚していたジャーメインの難しい立場がありました。(モータウン所属のアーティストも参加しそれはそれは盛大な披露宴だだったそうです)
モータウンや、ベリーが自分たち兄弟をトップアーティストにしてくれたという思いも、他の兄弟以上にもっていたジャーメイン。その恩義を裏切るわけにはいかなかった。そしてその一方で、ジャクソンファイブのセカンドボーカリストではなく、ソロとしてのより大きな成功という野心もあったのではないかとも思います。(ジャクソンファイブ時代に、ジャーメインは「Daddy's Home」という全米9位のソロヒット作もありました)
義父ベリーやモータウンもジャーメインをこれまで以上にバックアップし、ジャーメインをモータウンの新たなスターにするとも言います。
76年3月、ジャクソン兄弟はモータウンとの契約更新はせず、Epicへ移籍し、ジャーメインは一人モータウンに残ります。それはジャクソンファイブからの脱退を意味しました。
マイケルは、いつも自分の左にベースを持って立つジャーメインを本当に頼っていたみたいで、彼がいなくなった最初のショーで、「生まれて初めて丸裸になった気分になった」と述べています。マイケルがお子ちゃまの時、幼稚園まで送ってくれたのがジャーメイン、お下がりの服をくれたのもジャーメインだったといいます。幼いマイケルにとって、兄ジャーメインこそが憧れの存在だったように思います。
マイケルは、失って初めてジャーメインの存在の大きさを知ることになったのだと思います。そしていかにジャーメインに依存していたかも。ジャーメインが抜けた穴を埋めるべく、新たに加入した末弟ランディーとともに、マイケルと兄弟は全力で頑張ったといいます。ある意味、ジャーメインの脱退が、マイケルの自立心を高め、またソロへの弾みになった一因もあるかもしれません。
末弟のランディーが加わり5人編成は変わりませんでした。しかし、ジャーメインの存在は大きかったと思います。やはりジャーメインにはスターとしてのオーラと華を感じます。ジャーメインが抜けた後も、この「I’ll Be There」はライブでも定番の曲でした。私が「I’ll Be There」を初めて聞いたのは、ジャクソンズの『The Jacksons Best Live』。
モータウン時代の「I Want You Back」からはじまるヒットメドレーもジャクソンズのLiveではお約束で、「I’ll Be There」ももちろん歌われます。ただし、ここではジャーメインのパートの部分はありません。最初、しばらくオリジナルの「I'll Be There」を聞くまでジャーメインのパートの部分を知りませんでした。そして、そのパートが歌われていない理由、それは兄弟たちからジャーメインへの配慮というかメッセージを感じました。このパートは他の誰も代わりに歌えないという。
こうしてジャーメインはモータウンで、マイケルとジャクソン兄弟はエピックソニーで活動を開始します。79年の『オフ・ザ・ウォール』でR&Bの頂点にたったマイケルですが、モータウンでソロ活動をするもなかなかビックヒットに恵まれなかったジャーメインも、80年、「Let’s Get Serious」というR&B‐No1シングル(1980年ビルボード年間R&B-No1シングルにもなる)をうみ、グラミーのノミネートもされます。
こうしてそれぞれのレコード会社で活動をしていた2人ですが、83年にモータウンの25周年記念の特別番組でジャクソンズが出演する事になります。移籍の際、訴訟問題にもなったモータウンとジャクソン兄弟ですが、マイケルたちはベリー・ゴーディーの恩義に応え、番組の出演を承諾します。
この番組は、あの「ビリージーン」での"ムーンウォーク"が初披露され今や伝説のステージとなっていますが、もうひとつの注目が、実はジャーメインの8年ぶりのジャクソンファイブへの復帰でした。
そして、大人のマイケルの「ネバー・キャン・セイ・グッバイ」の熱唱の後、あの「I’ll Be There」も歌われます。ここで今まで封印されていたジャーメインのパートが復活するのです。
ジャーメインのパートの時、マイケルがジャーメインにマイクを差出し、お互いとてもうれしそうに歌っているのは感動的です。マイケルもジャーメインのボーカルに自身の声を絡めます。
お客さんも熱狂し、感動しています。マイケルだけではない、ジャクソン兄弟の素晴らしさをあらためて感じます。
本来ならここがフィナーレでもよいのに、まだこの後にマイケルによる「ビリージーン」のパフォーマンスがあるのです。マイケルは、モータウン時代の想い出と、兄・ジャーメインへのメッセージの後、「古い曲もいいし、素晴らしい。でも僕は新しい曲が好きだ」という言葉のあと、「ビリージーン」のイントロドラムが始まるのです。すごすぎます。その場にいたらチビリそうです(笑)。この場にいたお客さんはなんて幸福なのでしょう。
すでにこの時、ジャーメインはモータウンを離れアリスタに移籍しソロアルバムを出す事と翌84年のジャクソンズの新作『Victory』とそれに伴う大規模な全米ツアーへの参加も決まっていました。こうしてジャーメインとマイケルは再び同じ舞台に立つ事になるのです。 (つづく)
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