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◆ ジャクソン兄弟・マーロン・ジャクソン(四男) Don't GoはR&B-2位のヒット。そしてマイケルとの深いつながり [ジャクソン兄弟]

                                              ORIGINAL2011.12.11Up
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 ジャクソン兄弟の紹介、今回は四男のマーロンです。この記事は2011年12月13日・14日に開催された『マイケル・ジャクソン TRIBUTE LIVE』(In代々木体育館)で来日するジャクソン兄弟にあわせてUpしました。(残念ながらこのLIVEは行けませんでしたが)
 このようにマイケルの追悼公演がこういう形で日本で開催されるというのはうれしいですが、けっこう意外にも思いました。マイケル・ジャクソンを愛し、サポートし続けた日本のファンへのファミリーの愛を感じますし、3.11の震災のサポートの意味合いもあるようです。
 お母さんのキャサリンも「マイケルがいたら何かしらのサポートを必ずしたはず」と述べていました。マイケルに代わって行動を起こしてくれたジャクソンファミリーに感謝です。そしてジャッキー(長男)、ティト(次男)、マーロン(四男)の3人が来日。そのパフォーマンスも見れるという事でうれしい限りです。会見を見ましたが、今回の被災者への思いを話しているとき、ジャッキーが感極まって涙したのは驚いた。この人は、本当に心の優しい人なんだなというのを強く感じた。
 さらにAIとのコラボシングルも発表。今回のTributeイベント、なんでAIがここまでフューチャーされるのかはよく知らないのですが。

ハピネス/Letter In The Sky feat.The Jacksons(DVD付)

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMI Records Japan
  • 発売日: 2011/12/14
  • メディア: CD
 
 そして今回来日するマーロンの紹介です。ジャクソン兄弟のグループ分けとして、上の3人、ジャッキー、ティト(-2歳)、ジャーメイン(-3歳)がつるみ、ちょっと歳が離れたマーロン(-6歳)とマイケル(-7歳)が仲良しだったそうです。
 小さい時って、私も経験ありますが、ちょっと歳の離れた従兄弟のお兄ちゃん達と遊んで欲しくて、ついて行くわけですが、たまにうっとうしがられてまかれてた…そんな感じで、年の近いマーロンとマイケルが仲良くなるのは必然のように思います。さらに普通に学校に行けたわけでもなく、遊びたい時期にひたすら父の元で練習していた彼ら。マイケルにとってもマーロンにとってもお互いが身近な一番の遊び相手だったみたい。せまい2300Jackson Street時代の家では、マイケルとマーロンはいつもお互いどちらかが眠るまでお話をしていたと言います。
 
 さて、そんなマーロンのジャクソンズの中での位置づけですが、ジャクソン・ファイブとしてスタートしたジャクソン兄弟、父親のジョーは、ジャクソン・フォーにしようとしたといいます。一人外されそうになったのが四男のマーロンだったのです。
 マーロンに対するジョーの評価はかなり厳しく、踊りもうまくなくさらに歌えないというものでした。ハーモニーの調和を崩すというのです。しかし、それに反対したのが母親のキャサリンです。ジョーに、マーロンを外すなんてぜったいにしてはいけない。「口を動かしてるだけでもいいから、兄弟と同じ舞台に立たせなきゃだめ!」と強く反対します。兄弟の一人に一生残る心の傷を残す成功に意味はないという母親の強い愛情です。
 ジョーは、自身もミュージシャンだったから音楽業界で成功するという事がどれだけ難しいものかがよくわかっていた人だと思います。だから相当厳しく兄弟たちを鍛え、プロフェッショナリズムをたたき込んだ。それが虐待とまでいわれた。しかし、ジャクソン兄弟の成功はこのジョーのスタンスなくしてなかったようにも思います。そして一方で大きな愛ですべての兄弟姉妹を包んだのが母キャサリンだったのだと思います。兄弟全員、口をそろえて母親のような素晴らしい人間はいないと言います。このエピソードは、キャサリンの自伝『マザー』で知りました。
 踊れないといっても、マイケルのとっては歳の離れた兄たちの動きを真似することは難しく、1歳違いの体格も近いマーロンこそが一番のお手本だったのです。そしてマイケルは、マーロンの事を今までで会った人の中でも一番毅然としている人間の一人と述べています。
 
 推測するにマーロンは、内に秘めたタイプのように思います。他の兄弟達のような踊りのセンスがないという事も自覚していたのかもしれません。マイケルと同じイニシャルMJのマーロン。マイケルの兄として才能のない自分を情けなく思っていたと胸の内を明かしています。といっても、ティトもそんなに踊れるイメージはない(爆)。ジャーメインも実はそんなに。。マイケルが群を抜きすぎている。
 このエピソードを知るまで、マーロンが踊れない人だなんて思いもしなかった。だから陰で相当な努力をしたのではないかと思います。たしかに、マーロンがジャクソンズのアルバムでリードをとる事は少なかった。
 ジャッキーは、曲を書くし、ジャーメインが抜けたジャクソンズではマイケルの次にリードをとった。ティトは、ミュージシャン魂全開で、曲作りや演奏でも活躍した。ランディーも、特に『トライアンフ』(81)でライターとしての才能を開花させた。マーロンのリードって『トライアンフ』の「Give It Up」くらいしかなかった。
 しかし、84年の『Victory』では彼が製作した「Body」が3rdシングルになります。

 
  
 これまでジャクソンズとしてのシングル曲のリードはすべてマイケルの曲でしたが、マイケル以外の兄弟がリードボーカルをとるはじめてのシングルがマーロンの曲になるのです。この軽快なDanceチューンは、Hot100-47位、R&B-39位のヒットとなります。自分の作った曲が初めてシングルとして世に出た事、そしてスマッシュヒットした事でこれまでくすぶっていたマーロンのソロ活動への気持ちに一気に火がついたのかもしれません。
 1984年の史上空前の規模で全米を熱狂させたビクトリーツアーの後、グループからマイケル・ジャクソンが離れる事はファミリーはわかっていましたが、もう一人マーロンも家族会議でジャクソンズの脱退を宣言します。それはファミリー全員驚いたといいます。ジョーは、そんな勝手なことは許さないと激怒したそうですが、その時もマーロンの決断を支持したのがキャサリンだったのです。
 マーロンは、「20年、兄弟と素晴らしいキャリアを積んだ。しかし、これからはジャクソンの一人ではなく、マーロン・ジャクソンとしてチャレンジし成功したい」という自分の気持ちを伝えます。そして、1987年に発表したソロデビュー作が『Baby Tonight』だったのです。LAの一流Musicianも参加、MJのブレイン(後にシェリルクロウも手がける)のビル・ボトレルのクレジットもある。

ベイビー・トゥ・ナイト

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 ここから1stシングル、アーバンなDance Track「Don't Go」がR&Bで2位というヒットになります。「Body」以上に、マーロンの魅力がつまった曲のように思います。この実績は、ジャッキー、ランディーを凌ぐ。彼らのソロ作はヒットという点ではR&BでもTop10のチャートインしていないので。気合いの入ったMVと曲の良さとマーロンのイメージがFitした結果ではないかと思います。
 続く2ndシングル「Baby Tonight」はR&B-57位。マーロンのボーカルの質は、ジャッキーに似てる。正直なとこジャーメイン、マイケルほどの域には程遠い。ただ独自のボーカルスタイルを確立しているのは感じるし、特にアレンジのセンスを感じる。
 
 今回来日するマーロンですが、86年以来との事。86年、マーロンはUSA for アフリカのチャリティー活動の一環として日本テレビが主催する24時間テレビに招かれ、ステージで2曲のパフォーマンスをします。私、その時の番組を見ました。今でも覚えています。
 その頃、私はマイケルだけでなくジャクソンズ、ジャクソン兄弟に熱中していましたので。そこで今でも忘れられないのが、アナウンサーがマーロンの事を紹介するのに、絶対やってはいけない間違いをするのです。「それでは歌ってもらいましょう。マイケル・・・、ソーリー、マーロン・ジャクソンです」って。マイケルってつい言っちゃんたんですね。
 そんな紹介でスタートしたマーロンのパフォーマンス、まずはBody、バックダンサーも多く、軽やかに踊り歌います。2曲目が、アルバムのエンディングもかざった「Where Do I Stand」というバラードを感動的に歌います。そのバラードに感動したおいどんは、ガキンチョながら、どうやって調べたかは覚えていないのですが、東京のレコード会社に電話して「マーロンのアルバムはいつ出るのですか?」って問い合わせをしました。その方には丁寧な対応をして頂いたのも覚えています。で「まだ決まっていないけど発売予定はある」というような。
 
 マーロンが、マイケルに続いてジャクソンズを脱退したのは、これまでライナーノーツやジャクソン本に書いてあったようにソロ活動の欲求だけかと思っていましたが、追悼スピーチの中で、「自分は家族の中でもマイケルの一番のファンでもあった。だからマイケルのいないジャクソンズなんて考えられなかった」とも述べています。この言葉は印象深かったです。

 マーロンは、ソロ1作目で、ヒット曲も出し自信も深めたのではないかと思います。89年、ジャクソンズの『2300 Jackson Street』に収録の、ファミリーが集ったタイトル曲があります。マーロンはこの曲のみワンコーラスで参加しますが、制作されたMusic Videoには出演していません。スケジュールが合わなかったかもしれませんが、ここにもマーロンの意志の強さを感じます。ただこの『2300 Jackson Street』にマーロンのtasteも入っていたら、よりよいアルバムになっていたと思います。
 
 マーロンの2ndアルバムについても、『マザー』の中で紹介されていました。タイトルは『ビシアス』。ネルソン・マンデラを歌った感動的なバラードの事も言及されていましたが、発売されていません。それからマーロンの作品は世に出ていません。最近は、音楽活動より、エンターテイメントビジネスに力をいれているようですが、アーティストを引退したわけではない。こうしてアーティスト、マーロンが見れるのもうれしいですね。
 
 追悼式で、兄弟を代表してマーロンがスピーチをしましたが、「体の一部がもがれてしまったようだ」と悲しみに打ちひしがられている中、マイケルへの愛情に満ち溢れたスピーチに多くの人が涙したと思います。
 
 
  
 「神様のなさる事には意味がある。必死のその意味を見出そうとしている。自分の中の一部分がなくなってしまったけど、その一方で、君の一部はこれからも僕の中で、多くの人の中で生き続け、決してその輝きも失わないだろう」とも述べています。
 本当にそう思います。私もこうしてBlogでこれまでの作品を振り返っているのもあるかもしれませんが、私の中でもマイケルはいまだに輝き続けています。
 マーロンがスピーチの最後をマイケルへのお願いで結びます。自分と双子で出産後すぐに亡くなってしまったブランドンを天国で抱きしめてあげてほしいと。ジャクソンファミリーは、とても愛に満ち溢れた家族だ。

マザー―ザ・ジャクソン・ファミリー・ストーリー

マザー―ザ・ジャクソン・ファミリー・ストーリー

  • 作者: キャサリン ジャクソン
  • 出版社/メーカー: フジテレビジョン
  • 発売日: 1990/05
  • メディア: 単行本

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