◇ There Must Be More To Life Than This (生命の証)☆ マイケル・ジャクソンとフレディ・マーキュリーの友情 ☆ [楽曲レビュー(コラボレーション)]
2015.4.26Up
ツイートで流れてきた。9月5日はフレディ・マーキュリーの生誕日なんですね。2014年、ついにMJエステイトの許可もおり、マイケルとフレディーのデュオソング「There Must Be More To Life Than This」がクイーンのベストアルバムに公式に収録される事となった時に際しての記事です。
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フレディ・マーキュリーとマイケル・ジャクソン。一見、異色の組み合わせですが、一時期2人の交流は濃厚だった。それが3曲のセッションを生むが、どれも公式な発表はされないまま時が過ぎ、フレディーは1991年11月24日、45歳という若さでこの世を去る。死因はエイズによる気管支肺炎だった。そしてマイケルも2009年6月25日、50歳でこの世を去る。
2人の死後、2014年についにMJエステイトの許可もおり、マイケルとフレディーのデュオソング「There Must Be More To Life Than This」(邦題:生命の証)がクイーンのベストアルバムに収録される事となります。マイケルファンとしては、マイケルの参加曲だけ欲しいという人も多いと思いますが、今の所アルバムを購入しないと聞けない。これを機会にクイーンとフレディ・マーキュリーの音楽に触れるのも大いにありだと思います。
ネット情報だと、フレディーとマイケルがセッションした3曲すべてが公式に発表されるような情報があったけど、どうなんだろう?現時点ではなさそうな話。いろいろ見聞きしたけど、3曲の共演曲の内2曲のデモ版はリークされています。
「There Must Be More To Life Than This」と「State Of Shock」は、以前からリークされていてネットやブートで簡単に入手できた。で2曲とも、二人の共演がされていないバージョンが最終的に仕上がり、公式に発表されている。
「There Must Be More To Life Than This」は85年のフレディーのソロアルバム『Mr.バッドガイ』にフレディ単独のボーカルで収録。
「State Of Shock」は84年のジャクソンズのアルバム『VICTORY』に。マイケルのDUO相手はフレディーではなく、ミック・ジャガーとなる。
3番目の曲とされている「Victory」はまったく聞いたことがない。ジャクソンズの84年のアルバムがタイトルが『VICTORY』なのは、この曲が影響しているのかも不明。
当時、フレディも、マイケルと共演した3曲のどれかが『スリラー』に収録される予定だったとインタビューで述べていた。「惜しい事をした」と本人も多少悔やんでる。多分、その曲とは最終的にはミック・ジャガーとの共演となり、ジャクソンズ名義で収録された「State Of Shock」の事っぽい。前述したように「State Of Shock」はフレディーとのバージョンはネットにあふれてて、私も普通に聞いていますが、ボーカルはほぼ仕上がった状態。
最終的なマイケルの共演者となったミック・ジャガーのボーカルの良さは(後にわかってきたけど)、当時のおれには「なんて下手くそなんだ」って印象しかなかった。
それに対してフレディーのボーカルは、キレがあってパワフルで、リズム感もあって、マイケルとの掛け合いも超エキサイティング。「State Of Shock」は全米1位(3位)は獲得できませんでしたが、ストレートに入ってくるフレディーとのバージョンだったら全米1位に輝いていたかも。
ただ『スリラー』からこの曲が外れたのは、アルバムプロデューサーのクインシー・ジョーンズの判断もあったという。アルバムのバランスを考えたとき、「ビート・イット」というロック曲とかぶるのと、ポール・マッカットニーとのDUO曲もあり、2曲のDUO曲を収録するというのも避けたかったのかもしれない。
そして今回2人の共演した「There Must Be More To Life Than This」(「生命の証」)が公式に発表される事となる。フレディーが単独で書いたこの曲は、前述のフレディーのソロアルバムにフレディー単独のボーカルで収録されているけど、当初はマイケルとのデュオプランだったのだろうか。
マイケルはこの曲をすごく気に入ったみたいで、自身のアルバムへの収録も望んだようだけど、フレディーから「もう君は十分儲けたからいいじゃないか」って事で断られたみたい。最終的に、フレディーはこの曲を自身の初めてのソロアルバムに収録する。
フレディーとマイケル、2人の交流は、クイーンのライブに頻繁に訪れていたマイケルからの誘いで始まったという。当時のレコーディングの事をフレディーは語ってる。
「彼(マイケル)と話していると驚くよ。彼は25歳、僕は37歳なのに、彼は僕よりこの業界で仕事をしている。普通、そんな年齢の人間と話をするときは、先輩として教える気分だけど、25歳の彼と話すのは怖いほどだったと」。
さらにレコーディングスタジオに、毎日マイケルがペットのラマを連れてくるので、フレディーはもうやってられない、帰る!」って事もあったそう。
フレディーとマイケル、年齢も離れているし、一般的に繊細で真面目な好青年という印象のマイケルと、マッチョな外観と、不真面目とまではいわないけどドラッグもし、毎晩FU〇Kしていたいと公言するフレディー。一見、とても接点があると思えない。
しかし、二人はステージに立つと、圧倒的なカリスマオーラを放ち、一番後ろの席の聴衆の心までも支配した。マイケルは、ダンスという視覚的なもので観客を虜にした。
一方、フレディーはマイケルのように踊れるわけではないけど、その圧倒的なボーカルと衣装とマイクを駆使したステージ上のパフォーマンスに観客は魅了された。マイケルもクイーンがLAで4日連続公演をした際、通いつめたといいます。マイケルもフレディーのパフォーマンスに魅了されたのだと思う。
その時、クイーンの楽屋に訪れたマイケルが、クイーンに「Another One Bites The Dust」(「地獄へ道づれ」を“COOL”って絶賛しシングルカットをすすめ、見事にクイーン2枚目のNo1シングル&ミリオンヒットとなる。
ロジャーとブライアンはクイーンらしくないという事でシングル化に反対したそうです。たしかにそう、だってCHICの大ヒット曲「Good Time」のベースラインのパクりだもん。ナイル・ロジャースも驚いたっていう話。
フレディとマイケルはカテゴリーやジャンルや常識にとらわれる事も嫌った。
マイケルが常識家だったら「スリラー」のMVなんて生まれない。グラミーでジャンルを超えて8部門も受賞することもできなかった。いつも新しい事に挑戦し人々を驚かせることを喜びとした。
そして、フレディーはマイケル以上に、ジャンルにこだわらず、ジャンルの壁をこわしていった感じがする。だからクイーンの中だけの活動に満足できなくなったのも必然のように思う。
フレディーは、「今、何が起こっているかに興味がある」と。面白いものやったことがないものに興味があるんだと。他人の失笑なんて糞くらえ!というスタンスでバレエやオペラの領域にも進出した。そしてスケールの大きさにもこだわった。
フレディーの2枚目のソロ作、そして最後のソロ作となったオペラ作品『バルセロナ』は88年に発表される。世界一美しいソプラノとフレディー自身が絶賛し崇拝したスペインのオペラ歌手、モンセラート・カバリエとの共演をはたす。当初は1曲のコラボの予定が、カバリエの方もこのエキサイティングな共演に火がつきもっと作ろうという事になり1枚のアルバムを作り上げる事となる。
音楽業界でも、大物ロック歌手と世界的に著名なオペラ歌手とのジャンルの垣根を超えた共演はこれが初めてだった。
この頃、すでにフレディーはHIVに侵されており、カバリエにもその事を伝えていた。
フレディーは不幸な時に良い曲が書けると言っているように、まさに死の宣告を受けこのアルバムでフレディーのCreative Powerは爆発している。
当時、パバロッティ等のオペラ歌手からは酷評されたそうだけど、オペラ側はロックを見下していた部分もあるかもしれない。自分たちの領域を侵食されたという思いもあったのかもしれない。でもそんな事フレディーからしたら糞くらえだろうな。そのパバロッティも後にU2のボノ、エルトン・ジョン、スティングと共演しオペラの新しい可能性を探った。フレディーが風穴を開けたからだと思う。
すばらしい魂のアルバム。フレディーの音楽性の素晴らしさがこの1枚を聞けばわかる。
92年のバルセロナオリンピックの開会式でフレディーがこの曲のパフォーマンスをしていたら全世界はその素晴らしさを体感したに違いない。残念だ。
マイケルもR&Bフィールドだけに収まる才能ではなかった。フレディーとマイケルはカテゴリーの壁を意味を壊していった。
フレディーの曲に「The Great Pretender」(偉大な詐称者)ってあるけど、2人ともメディアや我々が勝手に描いたイメージの中で生きた部分もあるように思う。2人ともこう言っている、「誰も本当の自分なんて知る由もない」と。
フレディーはマイケル以上に、メディアの情報によってそのイメージは作られた印象はある。ゲイやフリーセックスを好んだセクシャルな発言もそれを増長した。
でも真の2人はほんとうに繊細な人のように思う。
そしてさらに2人に共通するのは“愛に満ち溢れた人”という所。
フレディーは曲を書く。リリックもメロディーも。メロディーや構成はすぐ浮かぶけど、リリックを仕上げるのが難しいとも述べている。
そして彼は「メッセージソングを書くのは好きじゃないし、そんな柄でもない」って。
「ただ自分の感じたことを歌にする」と。”愛”と”想い”について感じる事が多いから、「自分のソロアルバムにはそういうものが溢れたものになる」と。
フレディーの唯一の純粋なソロアルバム『Mr.バッドガイ』は、セールス的にも不調でクイーンの作品と比較してもアルバム完成度の評価は厳しいけど、フレディー・マーキュリーがつまっているアルバムだと思う。クイーンは大雑把にいえばロック的なイメージが強いけど(もちろんクイーンもクイーン自体がカテゴリー)、フレディーは、R&Bやディスコ的なものも好んだ。そんなTasteもつまってる。
また「There Must Be More To Life Than This」にもどりますが、公式にこの曲が世に出されたのは嬉しいけど、マイケル側としては不満な仕上がりです。
それは未発表のマイケルの素晴らしいボーカルが披露されるソロバージョンを聞いているからなのです。
この曲の終盤の一番盛り上がり“セラヴィ”の部分がありますが、そこにマイケルのボーカルは当てられず、フレディーのパワフルでエモーショナルなボーカルで歌いきる。そしてトーンダウンしたところに抑え目なマイケルのボーカルが登場する形となっています。
83年頃の録音とされていて、マイケルのボーカルは中性的。そしてギアをあげてエモショーナルに歌うボーカルがしびれるけどその部分は曲の構成上今回カットされている。。
「生命の証」のフレディーのボーカルも素晴らしいけど、マイケルのボーカルも素晴らしいから残念。
今回のバージョンは、フレディーを引き立てる感じの仕上がり。クイーンのBEST版だから仕方ないか。
人生の意味をエモーショナルに歌い上げたこの曲は、2人の熱くエモーショナルなボーカルでさらに高まったと思う。別録りではダメ。二人が同じスタジオでDUOしてこそ最高の仕上がりになったと思うけど、後付けなので仕方のないところ。
今回この記事を書くにあたって、フレディーの事もいろいろ調べてフレディーに触れて、さらにこの「There Must Be More To Life Than This」という曲の素晴らしさをかみしめた。
この世にいないフレディーとマイケルが「人生にはもっと意味があるはずだ ただ生きる事以上に意味があるはずだ」という言葉が心にしみる。
☆前述の『バルセロナ』のフルオーケストラバージョン。発売25周年を記念してフレディーも望んでいただろうフルオーケストラ盤が2012年に登場。フレディーの魂の歌声とメロディー、モンセラートの美しい歌声に魅了される。
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