◆ If You Say My Eyes Are Beautiful - ジャーメインとホイットニーの幻のNo1シングル- [ジャーメイン・ジャクソン]
オリジナル2013.7.23Up
『BAD』からの先行(1st)シングル、「I Just Can't Stop Loving You」は、マイケルとのデュオパートナー選びに難航したと言われています。最終的に、サイーダ・ギャレットに落ち着いたわけですが、当初は、バーブラ・ストライサンドを想定していた。しかし断られたと。『BAD』のドキュメンタリー番組の中でホイットニー・ヒューストンの名前もはっきりと上がっていました。しかし、Whitneyサイドは断ります。
その要因は、ホイットニーの待望の2ndの発売が87年6月に控えており、タイミング的にマイケルの『BAD』と重なるという所があったと思います。ホイットニーとマイケルとのかけあい感じてみたかったです。どんな感じだったのでしょうか。
このタイミングで、マイケルとのDUOを避けたのはアリスタレコードの社長・クライブ・デイヴィスによる判断かと思いますが、ホイットニー自身もマイケルとのDUOは受けにくかったという思いがあったかもしれません。それは、マイケルの兄、ジャーメイン・ジャクソンの存在があったから。
ホイットニーは、ジャーメインと4曲DUOしているのです。しかし、1枚もシングル化されていません。
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『BAD』からの先行(1st)シングル、「I Just Can't Stop Loving You」は、マイケルとのデュオパートナー選びに難航したと言われています。最終的に、サイーダ・ギャレットに落ち着いたわけですが、当初は、バーブラ・ストライサンドを想定していた。しかし断られたと。『BAD』のドキュメンタリー番組の中でホイットニー・ヒューストンの名前もはっきりと上がっていました。しかし、Whitneyサイドは断ります。
その要因は、ホイットニーの待望の2ndの発売が87年6月に控えており、タイミング的にマイケルの『BAD』と重なるという所があったと思います。ホイットニーとマイケルとのかけあい感じてみたかったです。どんな感じだったのでしょうか。
このタイミングで、マイケルとのDUOを避けたのはアリスタレコードの社長・クライブ・デイヴィスによる判断かと思いますが、ホイットニー自身もマイケルとのDUOは受けにくかったという思いがあったかもしれません。それは、マイケルの兄、ジャーメイン・ジャクソンの存在があったから。
ホイットニーは、ジャーメインと4曲DUOしているのです。しかし、1枚もシングル化されていません。
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「If You Say My Eyes Are Beautiful」(邦題「恋するまなざし」)は、86年のジャーメイン・ジャクソンのアリスタ移籍第2弾アルバム『プレシャス・モーメンツ』に収録された、ホイットニー・ヒューストンとの4曲目のデュオソングです。前回、ジャクソン兄弟の三男ジャーメインとホイットニーとの記事をUpしましたが、今回この曲に関してより深く掘り下げてみようと思います。
今回この記事をUpするにあたって二人の画像を探していたらめちゃいい感じのを見つけました(勝手にUpしてるけど・・・)。めちゃいい男といい女カップル、絵になるわ~。ホイットニーの死後、二人の関係が取り沙汰されましたが、こうしてみると、あらためていい雰囲気の二人。ボビー・ブラウンとの2ショットより全然いい感じ。
86年、ジャーメインのこのアルバムに収録されたホイットニーとのこの楽曲は、曲自体もよいし、当時のホイットニーの勢いからいってもNo1確実の強力シングルでした。ホイットニーのデビュー時は、ジャーメインのネームバリューも借りて売り出された感じですが、今回は、ホイットニーの助力をジャーメインが得る感じだったように思います。
しかし、この曲はシングルカットされる事はありませんでした。ジャーメインとホイットニーのDuo曲は4曲発表されていますが、二人のデュオソングがシングル化される事はありませんでした。
ジャーメインとのそれまでの3曲は、シングル曲としてのタイミングは難しいものがあったように思います。しかし、「If You say ---」はジャーメインサイド、ホイットニーサイドにとってもシングル曲としては絶好のタイミングだったと思うのですが、シングル化されないのです。そこに何かしらの理由を感じます。
85年『ホイットニー・ヒューストン』でデビューしたホイットニー。成功を約束されたその才能と美貌は、アリスタレコードのクライブ・デイヴィスの完璧なプロダクションで花開きます。(このデビューアルバム、日本盤はA面とB面が入れ替わっていたという驚きの事実をこの25周年記念盤で知る事となります)
そのデビュー前からホイットニーのお披露目は始まっていました。84年、テディー・ペンダーグラスのDUOソングでシングルデビューもはたし、ジャーメインのアリスタ移籍第1弾アルバム『Jermaine Jackson』(『ダイナマイト』)にも収録された「Take Good Care Of My Heart」でジャーメインとのDUOを披露します。この時、まだ若干控えめのように思いますが、とても20歳の新人とは思えないボーカルです。私もリアルタイムに、ジャーメインのこのアルバムで彼女のボーカルを聞きましたが、新人とは思わなかった。
この時は、ジャーメインやテディのネームバリューの力を借りてホイットニーの存在を売り込んでいくというクライブの戦略でした。(ただこの事が85年のデビュー時に、グラミーの新人部門の資格の剥奪という弊害もうみます)85年のホイットニーのデビューアルバムでも、ジャーメインは新たに「Nobody Loves Me Like You Do」というバラードでDuoを務めます。
さらに当時サントラブームで、映画ががらみのヒットソングが連発されていた。そんな流れにのるべくアリスタレコードが力を入れて製作したのが、ジョン・トラボルタ主演の『パーフェクト』。そのサントラの主役は、ジャーメインでした。さらにそのそのサントラに、ホイットニーとのエレクトリックなDance曲「Shock Me」が収録されます。このスピーディーなダンス曲でも、二人のボーカルは最高に絡み合います。
そして、ジャーメインは84年の『ダイナマイト』から2年を経て86年にアルバム『Precious Moments』を発表します。
『ダイナマイト』は、クライブ・デイヴィス主導で製作されたと思います。ジャーメイン、曲も書け、楽器もできるマルチな才能で、モータウン時代では外部プロデューサーの力は必要最小限にし、ほとんどを自身で手がけるアーティストでしたので、『ダイナマイト』ではそのプロダクション能力が十分発揮できなくて、フラストレーションも相当あったと思います。
が、この『プレシャス・モーメンツ』ではジャーメインのビジョンがほぼ表現されているように感じます。ミキサーにFlyte TymeのSteve Hodgeを招いているのも見逃せない。
「If You Say My Eyes Are Beautiful」(「恋するまなざし」)はエリオット・ウィレンスキーによる美しく力強いバラード。リリックを見ると当初からデュオを想定していたような曲のように思えます。ジャーメインは、モータウン時代にもリタ・クーリッジ等ど大人の名ラブバラードを残している。エリオットも、モータウン時代からジャーメインと曲を書いており、美しいスローバラードが印象的。マイケルのモータウンでのソロデビュー曲「Got To Be there」も彼の曲だそう。プロデュースは、ジャーメインとトム・キーン。トム・キーンはTOTOファミリーの人。さらにこの曲にはギターで、スティーヴ・ルカサーも参加。終盤を盛り上げています。
この曲は、誰がデュオパートナーを組もうと、曲自体かなりのポテンシャルをもった曲のように感じます(個人的にはそこまで好みではないのですが、売れるか売れないかの視点では、売れる曲だと思うという事)。しかし、今作再びホイットニー・ヒューストンをDuoパートナーとして選んだのは、ジャーメイン自身ではないようです。ホイットニーの自叙伝『デーヴァ』の中で、その事が触れてあり、それはやはりクライブ・デイヴィスの発案だったと。実際のレコーディングは、クレジットを見ると別録のようです。すごく息があってるので別々にレコーディングしたように聞こえない。エンジニアのSteve Hodgeの手腕も見事です。
曲も良いですが、二人のボーカルがさらに素晴らしい。特にホイットニーのボーカルは素晴らしい。このボーカルが彼女を“ディーヴァ”にした。
ジャーメイン自身、この曲自体のポテンシャルの高さを感じているようで、シングルの候補曲でもあったようですが、ホイットニーが相手に決まった時点で、シングル曲にはならないだろうと思ったようです。
シングル曲とならなかった理由が、ホイットニーの過剰露出にあったといいます。ホイットニーのデビューアルバム『ホイットニー・ヒューストン』は、85年に発表され、最初のシングル「You Give Good Love」はHOT100で3位(R&B1位)になります。その後も、そんなに踊りまくれるわけではないですが、ビジュアルのいい彼女のPVは次々作られ、シングルヒットも続きます。
You Give Good Love 3位 85.3
Saving All My Love For You 1位 85.6
Thinking About You --- 85.10
How Will I Know 1位 85.12
Greatest Love Of All 1位 86.4
今回この記事をUpするにあたって二人の画像を探していたらめちゃいい感じのを見つけました(勝手にUpしてるけど・・・)。めちゃいい男といい女カップル、絵になるわ~。ホイットニーの死後、二人の関係が取り沙汰されましたが、こうしてみると、あらためていい雰囲気の二人。ボビー・ブラウンとの2ショットより全然いい感じ。
86年、ジャーメインのこのアルバムに収録されたホイットニーとのこの楽曲は、曲自体もよいし、当時のホイットニーの勢いからいってもNo1確実の強力シングルでした。ホイットニーのデビュー時は、ジャーメインのネームバリューも借りて売り出された感じですが、今回は、ホイットニーの助力をジャーメインが得る感じだったように思います。
しかし、この曲はシングルカットされる事はありませんでした。ジャーメインとホイットニーのDuo曲は4曲発表されていますが、二人のデュオソングがシングル化される事はありませんでした。
ジャーメインとのそれまでの3曲は、シングル曲としてのタイミングは難しいものがあったように思います。しかし、「If You say ---」はジャーメインサイド、ホイットニーサイドにとってもシングル曲としては絶好のタイミングだったと思うのですが、シングル化されないのです。そこに何かしらの理由を感じます。
85年『ホイットニー・ヒューストン』でデビューしたホイットニー。成功を約束されたその才能と美貌は、アリスタレコードのクライブ・デイヴィスの完璧なプロダクションで花開きます。(このデビューアルバム、日本盤はA面とB面が入れ替わっていたという驚きの事実をこの25周年記念盤で知る事となります)
そのデビュー前からホイットニーのお披露目は始まっていました。84年、テディー・ペンダーグラスのDUOソングでシングルデビューもはたし、ジャーメインのアリスタ移籍第1弾アルバム『Jermaine Jackson』(『ダイナマイト』)にも収録された「Take Good Care Of My Heart」でジャーメインとのDUOを披露します。この時、まだ若干控えめのように思いますが、とても20歳の新人とは思えないボーカルです。私もリアルタイムに、ジャーメインのこのアルバムで彼女のボーカルを聞きましたが、新人とは思わなかった。
この時は、ジャーメインやテディのネームバリューの力を借りてホイットニーの存在を売り込んでいくというクライブの戦略でした。(ただこの事が85年のデビュー時に、グラミーの新人部門の資格の剥奪という弊害もうみます)85年のホイットニーのデビューアルバムでも、ジャーメインは新たに「Nobody Loves Me Like You Do」というバラードでDuoを務めます。
さらに当時サントラブームで、映画ががらみのヒットソングが連発されていた。そんな流れにのるべくアリスタレコードが力を入れて製作したのが、ジョン・トラボルタ主演の『パーフェクト』。そのサントラの主役は、ジャーメインでした。さらにそのそのサントラに、ホイットニーとのエレクトリックなDance曲「Shock Me」が収録されます。このスピーディーなダンス曲でも、二人のボーカルは最高に絡み合います。
そして、ジャーメインは84年の『ダイナマイト』から2年を経て86年にアルバム『Precious Moments』を発表します。
『ダイナマイト』は、クライブ・デイヴィス主導で製作されたと思います。ジャーメイン、曲も書け、楽器もできるマルチな才能で、モータウン時代では外部プロデューサーの力は必要最小限にし、ほとんどを自身で手がけるアーティストでしたので、『ダイナマイト』ではそのプロダクション能力が十分発揮できなくて、フラストレーションも相当あったと思います。
が、この『プレシャス・モーメンツ』ではジャーメインのビジョンがほぼ表現されているように感じます。ミキサーにFlyte TymeのSteve Hodgeを招いているのも見逃せない。
「If You Say My Eyes Are Beautiful」(「恋するまなざし」)はエリオット・ウィレンスキーによる美しく力強いバラード。リリックを見ると当初からデュオを想定していたような曲のように思えます。ジャーメインは、モータウン時代にもリタ・クーリッジ等ど大人の名ラブバラードを残している。エリオットも、モータウン時代からジャーメインと曲を書いており、美しいスローバラードが印象的。マイケルのモータウンでのソロデビュー曲「Got To Be there」も彼の曲だそう。プロデュースは、ジャーメインとトム・キーン。トム・キーンはTOTOファミリーの人。さらにこの曲にはギターで、スティーヴ・ルカサーも参加。終盤を盛り上げています。
この曲は、誰がデュオパートナーを組もうと、曲自体かなりのポテンシャルをもった曲のように感じます(個人的にはそこまで好みではないのですが、売れるか売れないかの視点では、売れる曲だと思うという事)。しかし、今作再びホイットニー・ヒューストンをDuoパートナーとして選んだのは、ジャーメイン自身ではないようです。ホイットニーの自叙伝『デーヴァ』の中で、その事が触れてあり、それはやはりクライブ・デイヴィスの発案だったと。実際のレコーディングは、クレジットを見ると別録のようです。すごく息があってるので別々にレコーディングしたように聞こえない。エンジニアのSteve Hodgeの手腕も見事です。
曲も良いですが、二人のボーカルがさらに素晴らしい。特にホイットニーのボーカルは素晴らしい。このボーカルが彼女を“ディーヴァ”にした。
ジャーメイン自身、この曲自体のポテンシャルの高さを感じているようで、シングルの候補曲でもあったようですが、ホイットニーが相手に決まった時点で、シングル曲にはならないだろうと思ったようです。
シングル曲とならなかった理由が、ホイットニーの過剰露出にあったといいます。ホイットニーのデビューアルバム『ホイットニー・ヒューストン』は、85年に発表され、最初のシングル「You Give Good Love」はHOT100で3位(R&B1位)になります。その後も、そんなに踊りまくれるわけではないですが、ビジュアルのいい彼女のPVは次々作られ、シングルヒットも続きます。
You Give Good Love 3位 85.3
Saving All My Love For You 1位 85.6
Thinking About You --- 85.10
How Will I Know 1位 85.12
Greatest Love Of All 1位 86.4
『ホイットニー』からは、5枚のシングルがきられ、内3曲が全米1位を獲得します。最後のシングルとなった「Greatst Love Of All」もアルバムから5枚目のシングルにも関わらず、大ヒットします。
その時期に、ジャーメインのアルバムが発売されたわけです。
ホイットニーの次のアルバムからのシングル「すてきなサムバディー」は87年5月で、またまた1位を獲得します。ただその間は1年空いています。
85年にデビューアルバムが出ますが、ジャーメインのアルバムが出た86年3月の時点では、ホイットニーはもうスターの位置に登りつめていたといっていいでしょう。
そのタイミングで、ジャーメインとのこの新曲をシングルとして出せば、1位を獲得するのは間違いなかったように思います。しかし、シングル化されなかったのです。
ホイットニー側の「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」の予想外の大ヒットが、さらにジャーメインとのこの曲のシングル化を妨げたのかもしれません。ただ若干、腑に落ちません。それだと、あまりにもクライブはホイットニーにテコ入れしすぎのように感じます。
クライブは、アリスタレコードの社長なのです、ジャーメインのアリスタ移籍第一弾アルバムも相当の費用をかけ製作し、プロモーションにも金をかけ、シングルもスマッシュヒットし、アルバムを見事にR&B1位にした。そして第2弾アルバムの起爆剤として「恋するまなざし」は最適だったはず。
『プレシャス』からの先行シングルは、スティーヴィー・ワンダーも参加した「I Think Its Love」。「Let's Get Serious」以来のスティーヴィーの参加は話題も呼びました。オマーティアンProduceにより、スティーヴィー独特の黒さは薄れた感じですが、この軽快なダンスチューンは、HOT-100で14位まであがります。
そして、第2弾シングルに「恋するまなざし」を持ってきていたら、シングルもヒットし、連動してアルバムの売り上げも一気に上昇したに違いない。
そしてさらに強力シングル曲「Do You Remember Me」も勢いに乗ってシングルヒットしたに違いない。
マイケル・ジャクソンとはまた違った魅力のジャクソンズのもう一人のリードボーカル、兄・ジャーメインの魅力が人々に再び認知されたかもしれない。そしてジャーメインも、妹ジャネットと同様に、マイケル・ジャクソンからの呪縛がとかれ、一人のアーティストとしてその後の新たな道が切り開かれた可能性もあった。しかし、その起爆剤としての可能性をもった曲はシングル化されませんでした。ジャーメインも「心底むかついた」と周囲にもらしていたようです。
クライブは、結局、ホイットニーをスーパースターにするべくジャーメインをも利用したという感じなのでしょうか。
ここからが、私の推測というか妄想なのですが、この曲をシングルにしないように圧力がかかった、かけた人間がいるのではないかという話です。
これはホイットニーの死後、大きく報じられたジャーメインとの不倫ネタです。当時も、二人の只ならぬ関係を指摘する声はあったようですが、当時フライデーのような決定的な写真は出た事はありませんでした。
私も、これはガセネタだろうと思っていたのですが、あながちそうでもなかった感じです。ジャーメインの自叙伝でも、ジャーメイン自身、ホイットニーに特別な感情をもっていたような事を述べていて驚いた。自身が、それこそ運命を変えた女性、モータウン社長令嬢・ヘイゼルと結婚していたため、自制したともありました。
ホイットニーはジャーメインに「ヘイゼルと別れて」と言ったが、ジャーメインは断ったと。その腹いせに「すべてをあなたに」のMusic Videoを作ったというのは、後づけの話のように思いましたが、二人が特別な感情を抱いていたのは間違いないように思えてきました。
クライブ・デイヴィスがその事に気づいていたのかがわかりません。手塩にかけて育て、スター街道まっしぐらのホイットニーに、ジャーメインとの不倫というゴシップが出ればその道は断たれたように思います。
もしかしたら「恋するまなざし」はシングル予定曲だったのかもしれませんが、どこからかジャーメインとホイットニーとの只ならぬ関係に気づいたクライブ他、アリスタの幹部が二人を遠ざけるべくシングルにする事をやめた。
また、ホイットニーとの関係に気づいた妻・ヘイゼルが、いわゆるジェラシーってやつでしょうか、自分の旦那を奪った女とのシングル曲がヒットするなど許せないでしょう、父・ベリー・ゴーディーの力も借り、アリスタに圧力をかけシングル化させなかった。
いろいろ妄想しまくっていますが、ホイットニーとのこのシングル曲が、ホイットニーの過剰露出を嫌ったという理由だけでシングルカットしなかったというのは腑に落ちないのです。
この曲が収録された『プレシャス・モーメンツ』は名盤だと思います。全10曲収録されていますが、ほとんどが愛を綴った曲です。ジャーメインの愛が語られているアルバムなのです。その対象は、普通に考えれば妻・ヘイゼルなのですが。タイトル曲にもなっている「プレシャス・モーメンツ」はジャーメインTaste全開のラヴバラード。プレシャス・モーメンツを単純に訳すと、貴重な時間、大切なひととき。
ジャーメインらしいハートフルなメロディーラインで、愛に満ち溢れたバラードかと思ったら
今になって君は去るって言うのかい
僕の元に帰ってくるのだろうか
僕には想い出と君の写真しか残らないのか
そして笑顔がもうすぐ消えていく
でも二人で頑張らなきゃ、間違ったことは正して
昔と同じようにするんだ
その時期に、ジャーメインのアルバムが発売されたわけです。
ホイットニーの次のアルバムからのシングル「すてきなサムバディー」は87年5月で、またまた1位を獲得します。ただその間は1年空いています。
85年にデビューアルバムが出ますが、ジャーメインのアルバムが出た86年3月の時点では、ホイットニーはもうスターの位置に登りつめていたといっていいでしょう。
そのタイミングで、ジャーメインとのこの新曲をシングルとして出せば、1位を獲得するのは間違いなかったように思います。しかし、シングル化されなかったのです。
ホイットニー側の「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」の予想外の大ヒットが、さらにジャーメインとのこの曲のシングル化を妨げたのかもしれません。ただ若干、腑に落ちません。それだと、あまりにもクライブはホイットニーにテコ入れしすぎのように感じます。
クライブは、アリスタレコードの社長なのです、ジャーメインのアリスタ移籍第一弾アルバムも相当の費用をかけ製作し、プロモーションにも金をかけ、シングルもスマッシュヒットし、アルバムを見事にR&B1位にした。そして第2弾アルバムの起爆剤として「恋するまなざし」は最適だったはず。
『プレシャス』からの先行シングルは、スティーヴィー・ワンダーも参加した「I Think Its Love」。「Let's Get Serious」以来のスティーヴィーの参加は話題も呼びました。オマーティアンProduceにより、スティーヴィー独特の黒さは薄れた感じですが、この軽快なダンスチューンは、HOT-100で14位まであがります。
そして、第2弾シングルに「恋するまなざし」を持ってきていたら、シングルもヒットし、連動してアルバムの売り上げも一気に上昇したに違いない。
そしてさらに強力シングル曲「Do You Remember Me」も勢いに乗ってシングルヒットしたに違いない。
マイケル・ジャクソンとはまた違った魅力のジャクソンズのもう一人のリードボーカル、兄・ジャーメインの魅力が人々に再び認知されたかもしれない。そしてジャーメインも、妹ジャネットと同様に、マイケル・ジャクソンからの呪縛がとかれ、一人のアーティストとしてその後の新たな道が切り開かれた可能性もあった。しかし、その起爆剤としての可能性をもった曲はシングル化されませんでした。ジャーメインも「心底むかついた」と周囲にもらしていたようです。
クライブは、結局、ホイットニーをスーパースターにするべくジャーメインをも利用したという感じなのでしょうか。
ここからが、私の推測というか妄想なのですが、この曲をシングルにしないように圧力がかかった、かけた人間がいるのではないかという話です。
これはホイットニーの死後、大きく報じられたジャーメインとの不倫ネタです。当時も、二人の只ならぬ関係を指摘する声はあったようですが、当時フライデーのような決定的な写真は出た事はありませんでした。
私も、これはガセネタだろうと思っていたのですが、あながちそうでもなかった感じです。ジャーメインの自叙伝でも、ジャーメイン自身、ホイットニーに特別な感情をもっていたような事を述べていて驚いた。自身が、それこそ運命を変えた女性、モータウン社長令嬢・ヘイゼルと結婚していたため、自制したともありました。
ホイットニーはジャーメインに「ヘイゼルと別れて」と言ったが、ジャーメインは断ったと。その腹いせに「すべてをあなたに」のMusic Videoを作ったというのは、後づけの話のように思いましたが、二人が特別な感情を抱いていたのは間違いないように思えてきました。
クライブ・デイヴィスがその事に気づいていたのかがわかりません。手塩にかけて育て、スター街道まっしぐらのホイットニーに、ジャーメインとの不倫というゴシップが出ればその道は断たれたように思います。
もしかしたら「恋するまなざし」はシングル予定曲だったのかもしれませんが、どこからかジャーメインとホイットニーとの只ならぬ関係に気づいたクライブ他、アリスタの幹部が二人を遠ざけるべくシングルにする事をやめた。
また、ホイットニーとの関係に気づいた妻・ヘイゼルが、いわゆるジェラシーってやつでしょうか、自分の旦那を奪った女とのシングル曲がヒットするなど許せないでしょう、父・ベリー・ゴーディーの力も借り、アリスタに圧力をかけシングル化させなかった。
いろいろ妄想しまくっていますが、ホイットニーとのこのシングル曲が、ホイットニーの過剰露出を嫌ったという理由だけでシングルカットしなかったというのは腑に落ちないのです。
この曲が収録された『プレシャス・モーメンツ』は名盤だと思います。全10曲収録されていますが、ほとんどが愛を綴った曲です。ジャーメインの愛が語られているアルバムなのです。その対象は、普通に考えれば妻・ヘイゼルなのですが。タイトル曲にもなっている「プレシャス・モーメンツ」はジャーメインTaste全開のラヴバラード。プレシャス・モーメンツを単純に訳すと、貴重な時間、大切なひととき。
ジャーメインらしいハートフルなメロディーラインで、愛に満ち溢れたバラードかと思ったら
今になって君は去るって言うのかい
僕の元に帰ってくるのだろうか
僕には想い出と君の写真しか残らないのか
そして笑顔がもうすぐ消えていく
でも二人で頑張らなきゃ、間違ったことは正して
昔と同じようにするんだ
というリリックなのです。そしてこの2年後の88年、ジャーメインとヘイゼルは離婚するのです。
『プレシャス・モーメンツ』、ジャーメインの私小説的な、ジャーメインの愛が語られたアルバム。それは妻・ヘイゼルと、今となってはホイットニーへの愛だったように思えてなりません。ジャーメイン自身にこの曲をシングル化できなかった要因があったのかもしれません。
今回この「If You Say My Eyes are Beautiful」を何度も聞きなおして、ジャーメインとホイットニーの歌声に酔いしれた。ホイットニーも逝ってしまったけど、この二人のボーカルの素晴らしさは消え去る事はない。
『プレシャス・モーメンツ』、ジャーメインの私小説的な、ジャーメインの愛が語られたアルバム。それは妻・ヘイゼルと、今となってはホイットニーへの愛だったように思えてなりません。ジャーメイン自身にこの曲をシングル化できなかった要因があったのかもしれません。
今回この「If You Say My Eyes are Beautiful」を何度も聞きなおして、ジャーメインとホイットニーの歌声に酔いしれた。ホイットニーも逝ってしまったけど、この二人のボーカルの素晴らしさは消え去る事はない。
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