オリジナル2009.10.12Up

 自分たちで自分たちの音楽を作りたい。その願いを叶えるべくモータウンレコードからエピックソニーへ移籍したジャクソン兄弟。しかし、エピックも最初から彼らにすべてを委ねるリスクは冒せず、当時のトッププロデューサー、ギャンブル&ハフに制作をまかせます。(2曲のセルフProはできた)
 ギャンブル&ハフのフィラデルフィアサウンドはすばらしいですが、ヒットという点では、ジャクソンズとしての最初のシングル「Enjoy Yourself」(僕はゴキゲン)がR&B2位、Hot100-6位(でもミリオン)のヒットはするも、その後のシングルヒットは続かず。
 アルバムにいたっては、エピック2枚目の『Goin Places』は50万枚にも達しないセールスとなります。マイケル・ジャクソンも、「ギャンブル&ハフは僕らにとってあまりふさわしくない騎手だったかもしれないし、彼らにとって僕らは相性の悪い馬だったかもしれない」と述べています。たしかに、移籍後の2枚のアルバムの出来はけっして悪くない。
 しかし、ジャクソン兄弟の溢れんばかりのエネルギーが、フィリーサウンドの流麗なストリングスで消されている印象はあります。フィリーサウンドは、ちょっと大人向けのPOPサウンドのイメージもある。しかし、レコード会社にとっては大変な問題でした。ドル箱アーティストを獲得したと思ったら、見合った結果をださないのですから。
 当時、エピックサイドはジャクソンズとの契約も打ち切る事も考えていたといいます。
 それを覆したのが、他ならぬマイケル・ジャクソンです。彼は父のジョーと共にエピックの幹部とあい、自分達でアルバムを作らせてもらうよう要求します。マイケルの熱いメッセージとその自信に、エピックサイドもついにジャクソン兄弟にプロデュースを任せる決断をします。しかし、これはジャクソンズにとってもラスト・チャンスでした。これでヒットという結果を出さなければ、ジャクソンズとしての契約更新はないのですから。