ORIGINAL 2008.11.17Upに加筆、修正 

 1982年の12月に発売された『スリラー』。このアルバムからは1年にわたり7曲のシングルがカットされ、「ビリージーン」「ビートイット」がNo1シングル、他の5曲もすべてTop10にチャートInするという記録も生みます。そしてアルバムも売れ続けます。グラミー賞での7冠、1983年12月、「スリラー」のショートフィルムによりさらなるマイケルフィーバーが起こります。私もこの「スリラー」でマイケルをリアルタイムに感じる事になります。
 マイケルは『スリラー』の成功で、エンターテイメント界の頂点に登りつめたと言ってもいいと思います。そして『スリラー』熱も多少落ち着いてきた頃、次にマイケル・ジャクソンがどういう動きをするのか!?全世界が注目する事になります。マイケルも意図的に表舞台に出ることを控えていたといいます。そんな状況でいろいろな情報が錯綜していましたが、最終的に、マイケルとブラザーがジャクソンズとしてのアルバムを出し、ツアーに出ると言う事が発表されます。全米はジャーメインも含めたジャクソン兄弟6人が揃ったツアー発表の記者会見に熱狂します。



 マイケルは『スリラー』の前人未踏の成功後、ジャクソンズとしての活動から離れるつもりだったと述べています。インタビューでもわかるように『オフ・ザ・ウォール』『トライアンフ』(Jacksons)期では、マイケルはジャクソンズを母体とし活動するような発言をしています。しかし、『Thriller』での桁外れの成功と評価により、ソロ活動とグループ活動とを平行して行うことに難しさを感じ始めたように思います。
 ジャクソンズとしての活動のギャラも、ブラザーで均等に分けられていたようですが、マイケルはお金の面でソロ活動に注力したいという事ではなく、Creativeな面で兄弟たちとのバランスをとっていくことに難しさを感じていったようです。それは、楽曲のアレンジだったり、収録曲の事だったり、ツアーの演出だったり、自分の主張だけを通すことが難しく、他の兄弟の意見に従うことも多々あったようです。そして、ソロとしての楽曲とジャクソンズとしての楽曲との差別化の難しさも感じていったように感じます。ジャクソンズとしての活動に時間を配分する余裕がなくなっていったようにも思います。
 しかし、父・ジョーや、母・キャサリンは、ジャクソンズあっての各々という意識が強かった。『スリラー』でマイケルはワールドワイドなスーパースターとなった。そして長らくモータウンでソロ活動をしていたもう一人のリード・ボーカル、三男ジャーメインも、アリスタレコードに移籍し快調なソロ活動を開始した、このタイミングで、ジャクソンズとしての力を結集せずにどうするんだという思いをファミリーはもったに違いありません。ここで兄弟たちの意志によりマネージメント契約の更新がされずにジャクソン兄弟から離れていた父・ジョーが再びマネージメントに就くことになります。そして、ビックプロモーターのドン・キングも呼び寄せる事になりますが、この事でビジネス臭が一気に高まることになります。関わる人間は、いかに自分の懐にお金をいれるか暗躍した。そんな状況でマイケルだけはその思いからは大きくかけ離れていたように思います。
 しかし、兄弟とファミリーへの恩返しの思いをもってマイケルはジャクソンズの活動を継続します。そこには、母、キャサリンの説得も大いに働いたようです。そして、一度ステージに立つとマイケルは躍動し、ファンに最高のステージを見せてくれるのです。

 
 1984年7月、ジャクソンズとしてアルバム『ビクトリー』を発表。当初、このプロジェクトのタイトルのマイケルの案は『ファイナル・カーテン』。そこにマイケルの気持ちが如実に表れています。しかしファミリーが大反対で『ビクトリー』におちつく。もともと「Victory」という楽曲がクイーンのフレディ・マーキュリーと制作していた3曲の内の1曲と言われていますが、未だに表には出ず。アルバムタイトルのイメージとしては、前作の『トライアンフ』と同じように、前人未踏の成功を収めたマイケルの勝利はジャクソンファミリーの勝利というイメージもあったのだと思います。
 そしてアルバム発表後、北米大陸をまわる(当時としてはギネス級の)大規模な「ビクトリーツアー」が開始されます。(最終的には、USAとカナダで55公演、200万人を動員)



Victory



  • アーティスト: Jacksons

  • 出版社/メーカー: Sbme Special Mkts.

  • 発売日: 2008/03/01

  • メディア: CD





 これまでジャクソンズのアルバムのリードボーカルは、当然のごとくマイケルでしたがが、今作は、兄弟が自作の作品をそれぞれがもちよりそれぞれがボーカルをとる、各自のソロ作を集めたような作品になります。(ジャーメインは楽曲の提供はなし)アルバムは、1984年の7月に発売されますが、出荷と同時に200万枚売れるという(当時の)初回出荷数の記録を生みます。